新編 膝枕

智に働きたいと思いながら、なんかやってます。

■横溝正史『獄門島』(その6)

横溝正史『獄門島』(その5)」(掲載日:2013年10月19日(土))のつづき。


* * *

金田一が獄門島を去るとき、見送りに来た3人のうちの1人は「竹蔵」であった。

「竹蔵」は、金田一が獄門島にむかう船のなかにいあわせたことによって、獄門島のなかで金田一とのつきあいが一番長い人間になった。

そんな竹蔵は、獄門島での金田一の滞在中、金田一に心を許していたのか。

この点について注目に値するのは、竹蔵は金田一に対して、ついに最後まで「金田一さん」と名前で呼びかけることがなかったという事実である。すなわち、竹蔵は金田一に相対して話をするときにはつねに「お客さん」と呼びかけ、応答をしていたのである。(*注13)

第三者との話のなかで金田一に言及することはある。そういうときは、「金田一さん」といっているが(*注14)、面と向かうとき、竹蔵は「金田一さん」という呼び方を避け続けた。

これは、「潮つくり」としてつねに誰かに雇われる側にある人間としての遠慮がそうさせたのか、よそ者としての金田一に対するよそよそしさがそうさせたのか、にわかには判定しかねる。しかし、いずれ島を出ていく人間として金田一のことをとらえていたということはできるだろう。

そんな竹蔵もエピローグの別れの場では「旦那」と金田一によびかけている。

「竹蔵さん、本鬼頭をたのみます。和尚も村長も幸庵さんも、みんなみんないなくなったのだから……」

「旦那、わたしゃ骨が舎利になっても……」

 竹蔵は袖で眼をこすった。

 やがてなじみの白竜丸が入ってくる。

「じゃ、皆さん、ごきげんよう」

「旦那、お元気で」

「金田一さん、ところがきまったら知らせてください。村長がつかまったら知らせます」(pp.351-352)

「清公」のいいかたを真似して、竹蔵もここで「旦那」といったのかもしれないが、いずれにしても親しみがこもった呼びかけ方である。

竹蔵はここにきてやっと金田一に心が許せたのか。

「了沢」が別れの鐘をついているが、これだけではあまりにも寂しい。

「竹蔵」が金田一にむかって「旦那」と呼びかけたこと。

獄門島』にあってはこれが唯一の救いであるかもしれない。

(「横溝正史『獄門島』(その7)」につづく)

*注13

金田一を二人称の「あなた」で指し示す箇所は三箇所あるが、いずれも動作の主体をあらわすものとして主語として機能するところである。呼びかけ、応答として機能する独立語としての用法では、つねに「お客さん」といっている。

「お迎えですか。御苦労さま。和尚さんはいまお支度の最中です。すぐ見えるでしょう」

「そして、あなたは?」

「あちらのほうの鬼頭さんへ」(pp.62-63)

 竹蔵はおびえたような眼をして耕助を見ながら、しばらく考えていたが、

「ああ、そういえば……そうです、そうです。(略)すると和尚さんがあとから追っかけてこられて、話をしているところへ了沢さんもやってきたのです。それで三人そろって歩き出したところへ、あなたが分鬼頭のほうから来られたのでござります」(p.310)

「ああ、あのとき……それはかようでござります。お通夜のことなら分鬼頭で、ちゃんと知っているはずなのでござります。現にあのまえの日、和尚さんのおことばで、わたしがあいさつに行ったのでござります。それをまたあなたが知らせにいくとおっしゃるので、変に思うたのでござりますが、なにかまたほかに、用事があるのだろうと思うたものだから、そのまま別れたのでござります」(p.311)

*注14

「な、なんじゃな、竹蔵――」

 了然さんはあわてて如意をひろいあげたが、なんとなく、声がふるえているようであった。

金田一さんがああおっしゃりまするで、わたしはひとはしり、幸庵さんを呼びに行て参じます」

「ああ、ふむ、そのことか。……御苦労じゃが、それでは、行てきておくれ」(p.84)