■テレビドラマ「悪魔の手毬唄」(金田一:古谷一行、1977年)をみた。
古谷一行が金田一耕助を演じたテレビドラマ「悪魔の手毬唄」(全6回、1977年放送)をDVDで視聴した。
原作:横溝正史
放送年:1977年
第1回。
まだ出会って間もない金田一に対して、放庵は伝説や民謡を研究するという自分の趣味を告げ、鬼首村の手毬唄の存在を教えている。(第1回"00:13:00"~)
これにはビックリした。
何回かに分けて放送されるテレビドラマとして、タイトルとの関連をしっかり視聴者につかませているのか。
第3回。
五百子が自分の知っている手毬唄を金田一に披露すべく敏郎を亀の湯へ使いにやる。
その時の敏郎のセリフ。
「その手毬唄を知っとるんは、この村じゃ、お庄屋さんとふたりだけじゃろういうとります。」(第3回"00:30:10"~)
そして、金田一は、五百子から手毬唄をきいた後、日和警部と話をして次のようにいっている。
「放庵さん、その手毬唄のことをいろいろ調べていた。一度、鬼首村手毬唄考という文章を民俗学の雑誌に発表したことがあるんだそうですよ。(略)
自分の文章が載ったときには、放庵さん、大喜びで村じゅうそれを見せてまわったっていう話ですからね。」(第3回"00:34:44"~)
おや?
たしかに、ジェネレーション的にはもともと手毬唄のことを知っていたのは五百子と放庵の2人だけだったのかもしれない。
しかし、放庵が「鬼首村手毬唄考」の掲載された雑誌を村じゅうに見せてまわっていたというのが事実であるなら、村の人たちはこの手毬唄のことを知っていたことになる。
だったら、どうして、枡屋と秤屋の娘が手毬唄のとおりに殺されたあとに、村のなかから手毬唄との関連を言い出す人が五百子以外に一人もいないのか。
まさか、放庵はその雑誌の表紙とか目次とか自分の文章の最初のページとかをチラッと見せるだけで、「鬼首村手毬唄考」という文章そのものの中身を村人に読ませることがなかったとか? だから村人は手毬唄の歌詞を知らなかったとか?
もったいぶった人間ならそういうことをすることもあると思うが・・・
なんか無理があるなぁ。
このドラマでは警部からリカへの恋心があちこちではっきりとえがかれる。
実にわかりやすい。