新編 膝枕

智に働きたいと思いながら、なんかやってます。

■吉田秋生『海街diary』

吉田秋生海街diary』(小学館フラワーズコミックス、2007年~)について、感想めいた覚え書きをしるすことにした。

 

* * *

 

僕が本作を読んだのはだいぶ前のことであるが、感想の表明がしづらいと感じたから、ブログに感想記事をのせようともしなかったし、本作を読んだ事実をtwitterなどにたれながすこともしなかった。

 

また、本作を原作とする同名映画を僕はみていない。同名映画が数年後にも人々の記憶に残っていて、語られることがしばしばであるような状況であれば、なにかのきっかけに視聴するかもしれないが、今のところ、同名映画を視聴する心づもりは僕にはない。僕は原作がとても良いと感じたが、同一の物語の世界にわざわざ別の媒体の表現で接する必要性をそもそも僕は感じていない。原作はひとつの独立体である以上、僕はその独立体のそとに出る必要を感じない。あえていえば、原作の舞台となった地域を実写映像で知覚することができるというのが映画をみるメリットであろうが、そもそも原作と同じ世界を同名映画がテーマ・イデーを維持しつつ表現しえているのか、不明である(こころもとない)今、もし映画をみてガッカリするようなことがあったらイヤだという気持ちが僕には強い。

 

原作を語るには原作があれば十分である。再読して、やっぱり本作はとても良いと思った。原作を再読したのを良いきっかけとして、おもったことをいくつか書き連ねておくことにした。再読した今もなにか《論じる》ということはできないので、覚え書きにとどまる。

 

(『すずちゃんの鎌倉さんぽ』と『すずちゃんの海街レシピ』は所有しているが、まだ目をとおしていない。書名をここにしるすために、いまやっとはじめてページをひらいた…)

 

(それと、いま同名映画の予告編映像をみたが、この短い映像からもイヤな予感がした…)

 

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やはり、本作の衝撃は第1話「蝉時雨のやむ頃」にある。すずが、姉のひとことをきっかけに、わっと泣き出す。泣き出さずにはいられないという事態にいたる諸々の出来事の描写と、泣き出した瞬間の真っ白な無音の背景の描写が見事すぎる。とにかく見事。これだけで(いいものをみさせてもらった)という気持ちになる。

 

第1話は無料でためし読みができるから、版元の公式サイトへのリンクをはっておこう。

「海街Diary」吉田秋生 http://flowers.shogakukan.co.jp/rensai/umimachidiary.html

 

 で、その後、本作は、どうにもしようがない出来事に見舞われる人々を、ありきたりの価値観で安易な裁断をすることなく、えがきだしていく。安易な価値観での裁断をしないというのが本作の見事さだと思うのだが、それがあらわれるのが、たとえば、次のようなところ。

 

兄は言いました

おふくろは季和子を許さないことで筋を通そうとし

季和子は許されないことであいつなりに筋を通そうとしたんだろう

だからおまえもわかってやれ――と(第5巻、p.35)

 

依怙地でもなんでもよい。その結果どのように当人が苦しもうと、しかたがないではないか。外部からの所与にせよ、内部からの所与にせよ、なんらかの所与性にしばられずにはいられない、一定の履歴をもつ個人の苦しみをうまく表現しえているのが本作だと思う。

 

実は僕が再読するにあたって、そこにいたるまでの出来事の展開をもっとも再確認したかったのが次の箇所。食堂のおばちゃんの遺言状にまつわるやりとり。

 

あなたは自分の意志をとおしてそれでいいかもしれない

でも残された人間はあなたがいなくなった後も世間の中で生きていかなければならないんです

そのお金は他人の憶測や妬みをかうのに充分な額です(第6巻、p.69)

 

どたん場でおばちゃん考え直してくれよった

金のことでおばちゃんにそこまで言える者はあんたしかおらへん

おおきに おかげでミドリ一家を傷つけんですんだ

 

とんでもありません

二ノ宮さんのお役に立つどころか

ひどいことを言って傷つけてしまいました

申し訳ありませんでした(第6巻、p.71)

 

人の人生をかえる介入をすることへの覚悟がここにある。 個人的体験ながら、未来を見通すことのない、浅薄な介入ごっこに辟易することが多いなかで、この人間模様の描写には涙が出てくる。初読時も、再読時も。

 

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以上は3週間ほど前に書き連ねておいた文章である。いま読み直してみて、あいかわらず僕は衒学的なものいいをするなぁと思った。すごく空虚だ。でも、具体的なことを情緒的に表現するつもりは今の僕にはない。だから、このままこの記事を掲示しておくことにする。(2015年11月1日早朝 しるす)