■映画「病院坂の首縊りの家」(市川崑監督、金田一:石坂浩二、1979年)をみた。
市川崑が監督をし、石坂浩二が金田一耕助を演じた映画「病院坂の首縊りの家」(1979年公開)をDVDで視聴した。
原作:横溝正史
監督:市川崑
公開:1979年
僕がこれまでこのブログに感想記事をのせてきた金田一映像作品はすべて、原作を読んだあとに視聴したものであった。
原作は原作、映像作品は映像作品として独自の内部構造をもつものとして独立して存立するものと僕は考えているから、僕の建前上は、そうした独立した作品に向き合う順番にとくにこだわりをもつ必要はないのだが、それでも一方では、この世にあらわれた順序で接していきたいという気持ちもあるから、原作をもつ映像作品については、できれば、原作を自分なりに咀嚼してから、それをもとに作られた映像作品を視聴したいという思いも捨てきれない。
が、今回は原作を読まずに本作を視聴した。
このようにした理由には、大部な原作を読む元気がないこと、これまで金田一映像作品をいくつも視聴してきて、原作を知らずにいたら、面白いと感じたかもしれない、と思うことが多かったことがある。
で、今回、原作を知らずに本作を視聴したわけだが。
その感想は。
ながく探偵業をしてきて、事件の背後にひそむ諸々の人間関係のつらさ、切なさに耐えられなくなってしまったと思われる金田一自身のつらさ、切なさが描かれてる作品だと思った。
作品冒頭。
アメリカ行きの話がなされる。
中盤でえがかれる古本屋での「妙ちゃん」との会話からわかるように、金田一は殺人事件に関わるのをもうやめたかったのだ。
おそらくは殺人犯やその関係者のせつない心情にふれるのがつらくてしかたがないがゆえに。
しかし、パスポートの写真をとるために写真屋をおとずれたのをきっかけに、またしても殺人事件に関わらざるをえなくなる。
かなり最初の段階で犯人が誰であるかわかってしまった金田一。
事件の具体的な解決はけっして楽しいものではない。
「弥生」の苦悩のもとが記録された乾板をだれにも知られずに破棄する金田一。
信頼する「三之介」にひかれた人力車で、娘が縊死した家へと死にむかう「弥生」を坂のうえから見送る金田一。
金田一最後の事件として金田一の苦悩を描ききった、恐るべき映像作品である。
市川・石坂コンビによる前作の「女王蜂」をみて、「琴絵」を演じた「萩尾みどり」さんがきれいだなぁ、と思った。
本作にも「萩尾みどり」さんが出演している。
「山内冬子」の役で。
きれいだなぁ、と思った。
「菅野美穂」に見えてしかたがなかった。
YouTubeに特報と予告編があったから、ここにはりつけておくが。
「絢爛の娯楽超大作」などという文言が踊っている。
本作はいわゆる「娯楽」に供するような作品ではない。
あいかわらずミスリードな構成の予告編だ。
映画『病院坂の首縊りの家』 予告篇
http://www.youtube.com/watch?v=BBlO7ElrHnU