■横溝正史『女王蜂』
横溝正史『女王蜂』を読んだ。
本作を読むのには苦労した。
ちょうど心身ともに僕の体調がすぐれなかったときと重なったことも影響しているとは思うが、初読時も、再読時も、何度も何度も中断しながら、こま切れにしか読み進むことができなかった。
うまく構築された良作だとは思う。お世辞ではなく。
でも。
なんか美文調なんだよな。
地に足がついていない感・・・
横溝作品はエンディングの描写が美しいと今の僕は感じているのだが、本作のエンディングは美文調にまとわれていて、その美文調が僕に興ざめ感をもよおさせる。
陽はもう西に沈んで、落日の栄光が衣笠氏の横顔を美しく染めている。衣笠氏はしっとり濡れた眼で、真紅に焼けた水平線のかなたを、飽くこともなく視つめている。陽は沈む。……
しかし、衣笠氏は知っているのである。今日の太陽は沈んでも、明日はまた、若々しい太陽が、新しい生命をもっていきいきと昇るであろうことを。(角川文庫、p.464)
旧皇族、旧華族の斜陽をうちにふくみつつ、浮き沈みする人の運命をえがく本作にあっては、岬でのこの一連の描写が比喩的な表現にもなっていることはわかる。
でもなぁ。
すごく唐突なんだよな。
書き手がみずからの美文に酔っているような感覚。
僕には釈然としない。
僕も本作にケチをつけるのが趣味ではない。
いちおう僕もまじめに本作を読んだので、まじめに読んだ証拠をここに記録しておきたい。
またしてもケチをつけることになってしまうが、まじめに読むに値する作品であると思うからこそ、僕もまじめに本作を読んだのだ、ということは強調しておこう。
・・・という言い訳はさておき。
本作の記述によれば。
5月23日は日曜日。
5月30日は日曜日。
6月6日は土曜日。
あれ?
5月は大の月だから、31日まであるぞ。
だから、6月6日は日曜日じゃないかなぁ。
(ちなみに、本作の事件が起こるのは昭和26年である。西暦では1951年。現実世界における1951年の5月23日は水曜日、5月30日は水曜日、6月6日は水曜日。)
念のため、日付と曜日の対応を確定する本作の記述をここに引用しておく。
本作の5月23日が日曜日であること。
五月二十三日。(略)(略)
昨夜、食事がすむと一同は、つれだってホールへ出た。土曜日の晩だったので、ほかにもかなり客があって、ホールではレコードをかけて、五、六組の男女が踊っていた。(pp.98-103)
本作の5月30日が日曜日であること。
「明後日といえば三十日だね。日曜日だがいいかい」(p.202)
五月三十日。(略)
その日は日曜日だったので、欣造も家にいるのである。(pp.204-205)
本作の6月6日が土曜日であること。
「来月の六日、土曜日の夜の部ですが、むこうの食堂で、一盞さしあげたいと思っています」(p.208)
それは歌舞伎座の一等座席券で、日付は六月六日、土曜日の夜の部であった。(p.217)
「土曜日にはおいでになれるでしょうか。そのお怪我で」(p.232)
六月六日。土曜日。夜の部。(p.237)
複数箇所を引用したのは、これらが書き手の部分的な書き間違いや誤植ではないことをしめすためである。
まぁ、6月6日が土曜であっても、日曜であっても、事件の展開や推理には影響しないとは思う。
が、日付と曜日の計算がおかしいという事実は否定できない。
あぁ。
やっぱりケチをつけているか。
でも、いいと思うけどな。
とりわけ金田一にあてた秀子の遺書なんかは。
教養ある貴婦人の切ない告白。
うん。
いいと思う。