■テレビドラマ「女王蜂」(金田一:稲垣吾郎、2006年)をみた。
稲垣吾郎が金田一耕助を演じたテレビドラマ「女王蜂」(2006年放送)を視聴した。
原作:横溝正史
放送年:2006年、フジテレビ
石坂浩二の「女王蜂」(1978年)と古谷一行の「女王蜂」(1978年)とならべたとき、本作がダントツに良い。
冒頭でいきなり謎の人物として「九十九」が「智子」に開かずの間の鍵を渡す本作。
ものすごい奇抜な導入ではある。
コミカルな、強引な序盤、中盤の展開。
それはそれでおもしろい。
物語の基本的な筋と核心の部分で原作に一番そっているのが本作だと思う。
それが第一に僕には好ましい。
事件の一応の解決後に金田一が赤い毛糸の玉から秀子の遺書をみいだすにいたる経緯がはっきりしないのが残念だが、そうであるとしても、秀子の思いを一番せつなくえがいているのが本作だと思う。
「神尾秀子」を演じたのは「手塚理美」。
亜紀の母親を思い描かずにいられない。
島の棹の岬のあの断崖のところとか。
黒い服を着ているよ・・・
智子をだくところとか。
いろいろと。
反則だと思う。
稲垣の「八つ墓村」もそうだったが、原作の予習復習に適していると思う。
不思議なことを一つ。
これは画像をキャプチャすれば簡単に伝えられることなのだが。
大道寺欣造のところにとどいた脅迫文。
執事がその封書を欣造のところに届けにくる。
その封筒のおもて面がはじめて画面にうつるときには宛名は「大道寺」となっていた。
が、欣造がはさみを入れ、なかから手紙をだしたあと、画面にうつる封筒のおもて面の宛名が「大堂寺」となっていた。
あれ?
どうしてすり替わったの?
ちなみに、大道寺家の表札は「大道寺」。
のちの新聞報道でも「大道寺」。
だから、本作にあっては「だいどうじ」には原作通りに「大道寺」という漢字表記が用いられているということができるだろう。
「大道寺」と「大堂寺」。
「道」と「堂」の漢字のちがいだが。
不思議な小道具の演出だなぁ。
うえで「本作がダントツに良い」としるした。
が、よくないと思うところもある。
それはエンディングでの衣笠氏のセリフ。
「きょうの太陽は沈んでも、あしたまた若々しい太陽が新しい命をもって、生き生きとのぼるのだ。」
原作のエンディングの一文をほとんどそのままここにもってきて衣笠氏にいわせているわけだが、原作におけるこの箇所が僕には違和感しか感じさせない美文調になっており、それが本作にそのまま持ち込まれているのがなんとなく興ざめである。
夕陽にむかうのが本作では衣笠氏ではなく金田一になっているんだな。
海の夕焼け。
きれいな光景だとは思うけど。
唐突だと思う。