■映画「女王蜂」(市川崑監督、金田一:石坂浩二、1978年)をみた。
市川崑が監督をし、石坂浩二が金田一耕助を演じた映画「女王蜂」(1978年公開)をDVDで視聴した。
原作:横溝正史
監督:市川崑
公開:1978年
初見時からDVDの再生設定で字幕を表示させていた。
それが良かった。
だって。
「ぎんぞう」?
「銀造」?
そんな人、原作にいたっけ?
ああ、「欣造」に相当するのね。
「きんぞう」と「ぎんぞう」。
「き」と「ぎ」
無声音と有声音のちがい。
字幕が助けてくれなかったら、耳の錯覚だと思って、悶々としてしまったと思う。
それに。
「ひとし」?
「仁志」?
ああ、「日下部達哉」にあたる人物ね。
なんか不思議な人名の変更だなぁ。
「よし、わかった」の警部。
今度はどこで粉薬を吹き出すんだろう。
それが楽しみだった。
けっこう早い段階で粉吹をしてくれたから、安心して視聴を続けることができた。
物語本編は。
多門連太郎がいきなり登場してビックリしたり。
展開が忙しいなぁ、と思って見ていた。
3人の求婚者がひとさまの家庭のなかに簡単に入りすぎ。
原作ではなにはともあれ大道寺欣造の目にかなって求婚競争をすることになった3人であったが、本作での3人は歴史研究で月琴の里を訪れたときに智子のところが好きになっちゃったという設定。
その程度のあいだがらで3人が3人ともそこまで銀造にとりいってしまったの?
それで銀造も家庭のなかまでいれてしまうの?
うーん。
おや?
銀造と秀子の相思相愛の仲を感じさせるシーンがある。
なんか変だぞ。
どうなるんだろ。
で。
親の死と三角関係との相乗効果による東小路家への怨みの爆発か。
うーん。
でも。
編み物のパターンの暗号を解いたあと。
秀子の遺書公開の場面。
そういうかたちで着地させたのね。
でも、「私が犯人です」とか「悪いのは私です」云々のオンパレードで僕はすごく興ざめしてしまった。
ただ、宿屋の女中のセリフから、犯人は秀子であったということで新聞が報道し、秀子が遺書に残した望みが実現していることがあきらかにされる。
こういうのはよきかな。
かわいらしいなぁ。
最後のシーン。
列車のなかで金田一が青い毛糸で編み物をしている。
死んだ人間に対するこういう追慕のしかたもあるんだな。
エンディングはなかなか良かったが、映画全体としては、なんかなぁ感が残る。
初見の翌日、本作を再見した。
本作内部での整合性はそれなりに保たれていると思うが、やはりおかしなところもある。
きわめつけは、「私が犯人です」。
真剣に考えながら視聴するのがけっこうしんどい。
いろいろ書き連ねたが、最後に。
「琴絵」を演じたのは「萩尾みどり」さん。
きれいだなぁ、と思った。