■映画「八つ墓村」(野村芳太郎監督、金田一:渥美清、1977年)をみた。
渥美清が金田一耕助を演じた映画「八つ墓村」(1977年公開)をDVDで視聴した。
原作:横溝正史
監督:野村芳太郎
音楽:芥川也寸志
公開:1977年
作品冒頭。
永禄9年 1566年。
山峡を落ち武者たちが歩いている。
落ち武者たちが山のうえから村を見おろす。
そこに壮大な音楽が流れる。
まるで大河ドラマが始まるようだ。
そして、いきなり現代。
空港。
飛行機が着陸してくる。
おっ、時代設定を大きく変えてきたな。
辰弥は昭和22年3月16日生まれ。事件が起こるのは昭和52年の夏。
尋ね人の広告があったのを機に辰弥は自分のルーツを確かめるために旧八つ墓村に行く。
そして、物語は辰弥のルーツ探しを中心に展開する。
辰弥一個人のルーツ探しと平行して、400年前の落ち武者殺しの首謀者たちと現代とのつながり、落ち武者と犯人とのつながりがあばきだされるというかたちで、いくつもの人間のルーツがあきらかになる。
本作は、横溝の恋愛小説たる『八つ墓村』からその中心的な恋愛小説的要素をきれいにそぎ落として、原作の周辺的な、小さな一要素である辰弥のルーツ探し一本にしぼって物語を構築し直し、400年前と現代を一望する大パノラマにしてみせている。
落ち武者が村に持ち込んだ黄金関係のエピソードも切り落として、すべてを出生、血筋というルーツの問題に収斂させていく。
この徹底ぶり、お見事。
渥美清の演じる金田一耕助が小ぎれいな白い洋服を着ていても、なにも不自然ではない。
なぜなら、時代は1977年。ジェット機がガンガン飛んでいて、新幹線もガンガン走っている。
事件の起こる時代の変更にともなう、ごく自然な金田一の外見の変更だと思う。
あえていえば、本作を金田一シリーズの一画に位置づけようとすることが妥当性を欠くのであり、本作の内容をなす物語は、横溝正史の『八つ墓村』にインスパイアされたオリジナルドラマへと昇華されているといったほうがよい。
僕は本作に感動はしないが、けっして駄作などではない。
筋の通った、一個の独立した作品たり得ていると思う。
オリジナルドラマであるとはいえ、「金田一耕助」を名乗る探偵を登場させる以上は、原作の金田一の特長のひとかけらぐらいは保存していてほしい。
その金田一らしさが本作の結末でえがかれる。
それは辰弥の父親のルーツの確定をあえて放棄し、辰弥に嘘をつき、辰弥の身辺を八つ墓村の一連の事件との連関からきりはなしたままにしておこうとする金田一の優しい配慮である。
金田一の精神をみごとにとらえている。
お見事。
さて。
美也子が犯人であることを知った辰弥を美也子が洞窟のなかで追いかける。
とたんに美也子のメイクもかわる。
鬼の形相で辰弥を追いかける美也子。
これは、まぁ、ご愛敬。
洞窟のなかで突然落盤がある。
大事件じゃないか。
それによって辰弥は美也子に殺されるのを免れるわけだが。
これも、まぁ、ご愛敬。
400年の時間を展望する物語につく音楽が実に壮大で、シンフォニック。
音楽を担当したのは芥川也寸志。
さてさて。
僕が横溝正史云々にまったく無知、無関心だったころに視聴したことのある横溝正史原作の映像作品の一つが本作である。
落ち武者たちが山の上から下を見おろしている映像がはっきり記憶に残っている。
あと、渥美清が白い服を着ていたなぁ。なんか輪になって話をしていたなぁ。
・・・ということぐらいしか、おぼえていなかった。
今回本作を視聴して、洞窟のなかからコウモリがバーッと飛び立ち、空を埋め、屋敷が燃え出すシーンにも見覚えがあることに気づいた。
さてさてさて。
僕にとって事件が起こる《現代》(=1977年)の都会と田舎の光景が興味深かった。
《たたり》を妄信して暴れ出す年とった村人たち。
「たたりじゃー」を模倣し、笑いものにする若者たち。
あの時代のいろいろな変化の様の混在が興味深かった。
以下、本作の予告編と特報。
参考までに。
映画『八つ墓村』 予告篇/本予告
http://www.youtube.com/watch?v=gwqn_MgDgVA
映画『八つ墓村』 予告篇/特報①②
http://www.youtube.com/watch?v=c-c8O4pORKk
映画『八つ墓村』 予告篇/特報③④
http://www.youtube.com/watch?v=S6dN2dFrVGY