■横溝正史『獄門島』(その4)
「横溝正史『獄門島』(その1)」(掲載日:2013年10月11日(金))
「横溝正史『獄門島』(その2)」(未掲載 掲載日:2013年12月1日(日))
「横溝正史『獄門島』(その3)」(未掲載 掲載日:2013年12月1日(日))
のつづき。
これまで書いてきたのはテキスト批判の問題であった。
ここから感想文の本題にはいる。
本作を読み終えた僕が一番に感じたのは、獄門島には救いが最後まで訪れない、ということだ。
「獄門島」という、よそ者を寄せ付けず、そこに住むものを妙な考えをいだく《気ちがい》にさせてしまう島の雰囲気は、事件が起こり、解決したのちも変わらないままであり、そこに住むものはこれからもこの島のこの雰囲気のなかで生き続けなければならず、よそ者は島からでていかなければいけない。
本作のエンディングである「エピローグ 金田一耕助島を去る」のなかで、それが静かに描かれている。
つぎに引用するのは、分鬼頭の「お志保」に愛玩されてきた「鵜飼章三」が島を去るシーンである。
艀が出ようとするところへ、あわただしく桟橋をかけおりてきたものがある。復員姿の鵜飼章三で、傘もささずにぬれそぼれているのが哀れである。「あっはっは、鵜飼さん、おまえとうとうお払いばこになったね。さりとは分鬼頭のおかみも現金な」
床屋の清公の毒舌である。
鵜飼は顔を真っ赤にして、消えてなくなりそうに肩をつぼめ、そそくさと艀のなかへとびうつった。(p.352)
艀がでる直前に鵜飼がやってきたことから、島を去るのが急に決まったことがうかがわれる。「鵜飼」は、分鬼頭の人間による見送りもなく、雨がふっているのに傘もさしていない。そして、彼の描写に荷物はない。彼は身のまわりのものを何も持たずに島を出るのだろうか。あれほど「お志保」に愛玩され、こぎれいな身なりをさせられていたのに、島を去るときに彼が身につけているのは復員服である。よそ者としての鵜飼に対する「お志保」からの仕打ちがこれである。
鵜飼だけではない。
金田一を見送るのも、警官の「清水」、潮つくりの「竹蔵」、床屋の「清公」の3人だけである。(*注9)(*注10)
鐘をついて惜別の意をあらわす「了沢」がいるが、それにしても、事件を解決した人間としての金田一にたいする別れがこの有り様である。
島の有力者が実行者となって3人の娘が殺されたという忌まわしい出来事が起きたがゆえに、忘却したくて、これしか見送りがいないのか、島を出るのがよそ者であるがゆえに、これしか見送りがいないのか。
発話主体の明確ではない次の内言がこの場面に端的に評価付けをあたえている。
(そうだ、それでいいのだ。ここは他国もののながく住むべきところではない)(p.352)
「獄門島」はこれからもよそ者を寄せ付けない、「封建的な、あまりに封建的な」(*注11)島でありつづけるのであろう。
そして、「早苗」にも最後まで救いが訪れることはない。
早苗は金田一の申し出によって、島をでる鍵を手にするが、その鍵をみずから放棄してしまう。放棄する理由は早苗のつぎの一言のうちに端的に表れている。
島で生まれたものは島で死ぬ。それがさだめられた掟なのです。(p.351)
かなり主体的だとおもわれる早苗の決断のうちにも島の雰囲気が影を落とし、彼女の未来を悲劇的に規定してかかっているのである。
横溝の『本陣殺人事件』と『悪魔の手毬唄』にあっては、ある個人が自分自身に呪縛されて殺人にいたったのだとすれば、「獄門島」にあっては、ある個人は個人を超えたなにものかに呪縛されて殺人にいたる。
そして、個人を超えたものにしばられて事件がおこったのだとすれば、その事件が終わり解決した後もその呪縛は消え去ることはなく、人々はその呪縛のなかで生き続けることになる。しかも、人々はその呪縛を自覚したうえで、その呪縛のなかで生き続けなければならないのだ。
本作が描き出す、救いのない悲劇はここにある。
エピローグでは獄門島の悲劇性、救いのなさが静かに語られていたのだとすれば、それが劇的なかたちで現れるのは和尚の最後のシーンである。その箇所をここに引用しよう。
「これはいいたくないことです。いわずにすむならすませたい。笠岡からかかってきた電話というのは、神戸で復員詐欺がつかまって、ビルマから復員した男だそうですが、戦友の留守宅を、かたっぱしからかたって歩いていたんです。そいつのいうのに、生きていると知らせてやると、留守宅のよろこびも格別で、ごちそうもお礼もフンパツするが、死んだというとそれほどでもない。そこで一計を案じて、戦死した戦友でも、生きているように報告することにきめたという。……」了然さんの顔に、ふいに動揺があらわれた。大きく、息をはずませながら、
「き、金田一さん、そ、それじゃもしや一さんは……」
耕助は和尚の顔を見るのがつらかった。この一言こそ、和尚がきずきあげた自慰の楼閣を、むざんにつきくずすものである。
「そうです、戦死したのだそうです。しかし、それを正直にいうと、謝礼のたかが少ないと思うたので……ああ和尚さん!」
不意に和尚が立ち上がったので、耕助と磯川警部は、あなやとばかり身をうかせた。
和尚はしばらく微動だにしなかった。大きく見開かれた眼は、生命なきガラス玉のごとく、光をうしなってぼんやりにごっていた。和尚はなにかいおうとした。しかし、ことばは出ずにただくちびるがパクパクうごいたばかりである。和尚は耕助を見、それから磯川警部を見て、ゆっくり首を左右にふった。……と、思うと、左右の頬にみみずのような血管がおそろしくふくれあがって、顔色が、気味悪いほどギタギタと紅潮してきた。
「南無……嘉右衛門どの」
「あっ! 和尚!」
左右から駆けよる耕助と、磯川警部の手をはらいのけるようにして、和尚はどうと、朽木を倒すようにひっくりかえった。
それが了然さんの最期であった。(pp.348-349)
これまで、和尚は金田一による推理の披露を従容として聞いてきた。金田一のために鉄瓶と急須を用意し、金田一にお茶をついでやってきた。そして、「なにもかも超脱しきった、水のような淡々たる調子で」(p.341)語りはじめた… そこに徐々に沈んだ調子がまじりはじめるが、まだ和尚は微笑を浮かべる余裕をみせてはいた。
そんな和尚が「一」が本当は死んでいたことを知るやいなや、動揺し、息をはずませ、たちまち悶死するのだ。
つねに落ち着きはらっていて、淡々としている「和尚」が落ち着きを失うのは、吊り鐘を引き取りに呉まで行った帰りの白竜丸のなかで「千万太」の病死と「一」のまもなくの復員を知ったとき、そうした事実に言及するとき、そして、「一」が実は戦死していたことを知ったときである。
和尚の悶死によって、個人を超えたものに押しつぶされる人間の悲劇が最高潮に達する。
ここから静かなエピローグへの移行… 作品のこの構成がみごとだと思う。
「獄門島」に住む人間はこの島によって《気ちがい》にさせられる。
あえて衒学的に、より一般的にいえば、部分に対する全体の優位さが、この島にあっては極限的な形で表れている。
全体は部分に優位を示し、部分をみずからにふさわしく染め上げ、変化させていく。
しかし、これだけなら「獄門島」にかぎったことではない。
「獄門島」の悲劇は、全体が「狂気」という面で突出していること、その部分たる住人は全体に変化をもたらす力を持ち得ないという点にある。
さらに衒学的にいうなら、「獄門島」の住人はすべて「獄門島」の魔術にかかってしまうのだ。
警官の「清水」の、「金田一」に対する猜疑的なまなざしと、策を弄して「金田一」を留置場にぶち込むという所行にあらわれるように、「清水」もその魔術にかかってしまっている。「磯川警部」の登場によってその魔術が解かれるとしても、あれほどの猜疑心に凝り固まるというのも、魔術のしからしめるところなのだろう。(*注12)
そして、「金田一」を陰謀を持つ犯人と考え、3人の娘が殺される必然性を島民が自然に受け入れてしまっていたということ、早苗がたんなる侵入者を「一」と見間違え、3人の娘が殺される可能性を想定してしまったということも、やはり魔術によるものだろう。
こうした魔術性のなかで人々が生活をしているということ。
本作はある時代の、ある空間での、そうした人々の生活を描いているという点で文学作品たりえていると思う。
(「横溝正史『獄門島』(その5)」につづく)
*注9
床屋の「清公」が島の外部の人間であること、すなわち、島のそとで生まれ育った人間であることは、「清公」自身の発言からはっきりしている。警官の「清水」が外部の人間であることを明示的にしめす記述は本文中にはあらわれないが、彼の諸々の発言、その言葉づかいから、彼が島のそとから獄門島に赴任してきた人間であることがうかがわれる(すくなくとも、島の雰囲気にたいする距離のおきかたからすると、彼は獄門島にとっては周辺的な存在である)。とすると、「竹蔵」だけが「獄門島」に生まれ育った内部の人間であることになり、金田一を見送る島の内部の人間の数の少なさが際立ってくる。
*注10
「竹蔵」と「金田一」とのあいだの距離については稿をあらためてとりあげる。
*注11
角川文庫における小見出し(p.341)。「その2」でもふれたように、講談社と出版芸術社では「封建的な、あまりにも封建的な」となっており、助詞「も」の有無の点でことなっている。
*注12
「清水」については稿をあらためてとりあげる。