■映画「ピーナッツ」をみた。
監督・脚本・主演:内村光良
公開:2006年1月
115分
「桜井幸子」が演じるところの「宮島百合子」。
「内村光良」が演じるところの「秋吉光一」。
ふたりがキャッチボールをするシーンがいい。
いい。
とにかく、いい。
言葉はいらない。
本作では、とげとげしいところのない、どこまでもやさしい時間が最初から最後までながれる。
本作についてコメディという宣伝文句もあるようだが、僕は本作を、コメディであるか否かということにまったく無関心な状態で、純粋に人間と人間のあたたかいやりとりが描き出されているものとして視聴しつづけた。
「とげとげしいところのない」というのはつぎのようなこと。
寂れた商店街に再開発の話がもちあがっている。
そこには賛否があるわけだが、そこに関わる人のあいだに、あからさまに人を傷つけるようなどぎつい言葉は飛びかわない。
地域のなかでの、家族のなかでの悲喜こもごもがあるはずだとしても、その悲喜こもごもを激しく具象したかたちではえがきださない。
その例が、「勝田一鉄」(ゴルゴ松本(TIM))の店に酒の配達にきた「相良和雄」(三村マサカズ(さまぁ~ず))とのあいだのやりとり。
再開発の話についてサインする心づもりをしずかにつたえる「勝田」に、「相良」はけっして激高しない。
そして、「ピーナッツ」の面々のミーティングもごくごく自然に「勝田」の店でおこなわれる。
試合当日も、妻の言葉におされて、遅れて病院から球場にやってきた「赤岩」( レッド吉田(TIM))が、ごくごく自然にうけいれられる。
そして、9回の表にライトフライを落球した「宮本」(ふかわりょう)をけっして責めないメンバーたち。
そう。
試合の日の朝、娘の「みゆき」(佐藤めぐみ)に父親である監督(ベンガル)がつたえた「草野球のスリーベーシックルール」。
「誰もが楽しく」
「誰もがヒーロー」
「誰もが勝ち負け気にしない」
これを具現している野球の試合の模様がくりひろげられるのだ。
娘の「みゆき」がランナーのスライディングでふっとび、「宮本」がランナーに抗議、乱闘になったのを、「あ~あ~。やってる、やってる」としずかにベンチからながめる父親。
若者の恋心をおだやかに見守るまなざしが、視聴するものの気持ちをおだやかにする。
僕はこういうのが好きだ。
「原田泰造」の演じる看守が「文野」(大竹一樹)に明朝の出所と自分の野球への思いを伝えるところなど秀逸だ。
恋人同士の「百合子」と「秋吉」。
書きたいテーマが見つからず、仕事をしなくなった、仕事ができなくなった「秋吉」に「百合子」は感情をむき出しにした言葉をむけない。ふたりのあいだのさみしいすれ違いが、ことばすくなくえがかれる。
「百合子」を演じる「桜井幸子」がうつくしい・・・
公開まぢかの「ボクたちの交換日記」が楽しみだ。