■映画「アマデウス ディレクターズ・カット版」をみた。
映画「アマデウス ディレクターズ・カット版」をDVDで視聴した。
2週間ほど前に僕がtwitterでモーツァルトのレクイエムのスコアの写真を投稿したことに反応して、メンションをくれた方がいる。
その方は高校の授業で映画「アマデウス」をみて、モーツァルトにはまったのだとか。
僕がモーツァルトをきくようになったきっかけはいくつもあるはずであるが、そのきっかけのおおきさにちがいはあるにせよ、僕にとっても本作がそのきっかけのひとつとして位置づくことは間違いない。
twitterでのやりとりをとおして、僕は(久しぶりに本作を見てみたいなぁ)と思った。
ツタヤにいったら・・・ 「ディレクターズ・カット版」というのが棚に並んでいた。
「ディレクターズ・カット版」の長さは180分。
おお。
僕が見たことのないシーンが収録されているのか。
まよわず「ディレクターズ・カット版」をレンタルしてきた。
「コンスタンツェ」は夫が音楽教師として採用されるよう便宜をはかってもらいに「サリエリ」のもとをおとずれる。
「コンスタンツェ」が持参したモーツァルトの楽譜がすべて《オリジナル》であることを知った「サリエリ」の手から楽譜がすべりおちる・・・
ここは僕の記憶にはっきり残っているシーンだ。
このあと。
「サリエリ」が「コンスタンツェ」に、夜にひとりでもう一度くるよう要求する。
僕が知っているバージョンではそんなシーンはなかったぞ。
ぼくはすごくショックだった。
で、「サリエリ」の要求通り、その日の夜、「コンスタンツェ」はひとりで「サリエリ」のもとをおとずれる。
「コンスタンツェ」は「サリエリ」のまえで自分から服をぬぎはじめる。
音楽家になりたくて神に祈り続けた「サリエリ」にとって、すくなくとも本作の設定における「サリエリ」にとって、これがはじめてみる女性のおっぱい。
このときの「サリエリ」の精神状態、このあとの「コンスタンツェ」の精神状態を考えると、このシーンの衝撃はおおきい。
僕がこれまでにみてきたバージョンでは、モーツァルトの楽譜が《オリジナル》ばかりであることを知ったシーンのすぐ次のシーンで、「サリエリ」は十字架のイエス象を火にくべていた。
このあいだに挿入された「サリエリ」の誘惑と「コンスタンツェ」の裸。。。
DVDの視聴をおえてから、この点について思いをめぐらしているのだが、今の僕には、「ディレクターズ・カット版」でここに挿入されたこのシーンの必要性がわからない。
まぁ、嫌いじゃないけどさ。
嫌いじゃないけど、必要性に疑問をもつことって、あるよね。
ほかにも、はじめてみるシーンが多数。
どのシーンの追加のおかげかわからないが、「ディレクターズ・カット版」では「サリエリ」の苦悩の複雑さが明確になっていると思う。
(この「苦悩」の表現のひとこまとして解釈するとしても、うえで指摘した箇所の必要性には疑問符がつく。)
モーツァルトの音楽って、いいなぁ。
そう思った。