新編 膝枕

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■横溝正史『悪魔の手毬唄』を読んで ~ブタネコさんへの返信~

ブタネコ氏のブログ「『ブタネコのトラウマ』Blog版」に掲載された横溝正史悪魔の手毬唄」に関する記事を拝読したのをきっかけに、僕は『悪魔の手毬唄』の原作を読んだ。読後の感想をブタネコ氏にコメントでお送りしたところ、ブタネコ氏は「悪魔の手毬唄 はぎわらさんへの返信」(2012年07月27日)という独立の記事で返信をくださった。

ぼくのこの記事はブタネコ氏からの返信にたいする返信としてしるすものである。

(この記事で引用した『悪魔の手毬唄』は、横溝正史金田一耕助ファイル12 悪魔の手毬唄』(角川文庫、1996年9月改版初版)である。)

* * *

ブタネコさま

ご丁寧な返信に大変恐縮しております。

ブタネコさんのお返事を読んで、僕は『悪魔の手毬唄』を再読しました。再読してあらためて思ったのは、登場人物の心の動きを表現するためにその人物の行動を丁寧にえがきだしているいう点で、本作は堅実な文学作品として位置づけられるだろうということです。

まず、「里子」については、初読時から、僕は彼女の描写に注目せざるをえませんでした。鬼首村に赴く前の磯川警部による「里子」への言及、そして、亀の湯に逗留し始めた金田一の目にはじめてふれた「里子」の姿とその夜のお幹さんとの会話で不十分ながらもあきらかになった「里子」の暮らしぶり、「ゆかり」が参加する盆踊りに頭巾をかぶって出かけ、頭巾をかぶっているにもかかわらず、人目を憚り、すぐに隠れようとする「里子」…

このような「里子」が、「泰子」が殺されたあとは、人が変わったように堂々と人前に姿を見せるようになります。衣服的な外見だけでなく、言動も様変わりします。

本作の人物描写が実に巧みだと僕が思ったのは、「里子」が登場するたびに、その立ち居振る舞いへの言及がなされるということです。「里子」の立ち居振る舞いへの言及の執拗さに僕は初読時に注目せざるをえませんでしたが、それは金田一の観察眼の鋭さを意味するところであり、金田一の鋭い、緻密な観察から引き出されたのが、ブタネコさんも次で指摘された「里子」の心情です。

で、後述の為に ひとつ指摘させて頂くと

『つまり自分が醜く生まれつき、しかもそれを気にしすぎる。その結果母がうつくしい泰子にたいして憎悪をもつにいたったのではないか』

という部分に関して「はぎわらさん」も気付いておられる様ですが ここはあくまでも金田一耕助の推察であり、憶測なのかもしれない…という点です。

で、この金田一の推察を「はぎわらさん」は説得力のあるものと受け止められていますよね? そう、私も同感なんです。

ためしに、泰子が殺されたあとに「里子」がはじめて登場する場面の一部を引用してみます。

 さて、聞き取りに入るまえに金田一耕助は、はじめて里子という娘を正視したのだが、ひとめその顔を見たとたん、あまりの無残さに思わず眼をそむけずにはいられなかった。

  (略)

 それにもかかわらずけさの里子は、お高祖頭巾も手袋もかなぐりすてて、みずから無残な赤痣をさらしものにしているのである。おそらく彼女はこういう立場にじぶんを追いこんだ残酷な運命にたいして、悲愴な抵抗をこころみているのであろう。立花警部補の視線を真正面にうけながら、恬然としているつよい瞳がそれを物語っている。(pp.191-192)

この聞き取りの場面で「里子」が毅然とメリハリのある受け答えをしているのが印象的です。

さらに、つぎのちょっとしたシーンでの「里子」の振る舞いも見逃せません。

金田一耕助がお幹さんに手つだってもらって、猫車のおくから自転車をひっぱりだしてそとに出ると、土蔵の窓から里子がこちらをのぞいていた。彼女はもう顔をかくすようなこともなく、金田一耕助が笑顔をむけると、里子もだまって頭をさげた。(p.222)

つぎは泰子のお通夜でのこと。ここでの描写はとくに母親である「リカ」との関係において重要です。

「あら、まあ、里子!」

 (略)金田一耕助のすぐ背後に立っていたリカは、お銚子を両手にかかえたまま凝然として立ちすくんでいた。

 (略)しかも、ふだんはその赤痣を恥として、ぜったいにひとに顔を見せない里子が、こんやはそれをさらしものにしいて、恬然として恥じるけしきもない。

「あら、まあ、里子!」

 と、母のリカが悲痛な声をふりしぼったのもむりはない。(pp.246-247)

このお通夜での「里子」のふるまいはつぎのとおりです。

 文子のあとから焼香をおわった里子も、敏郎たちに黙礼すると、文子のとなりへきてすわった。文子がうなだれがちなのに反して、里子がむざんな赤痣をさらしものにして、きっと正面きっているのが満場の眼をそばだたせた。(p.250)

こうした「里子」の立ち居振る舞いへの丁寧な観察が、推理を披露する場面での金田一の次の発言のうちにみごとに要約されます。

「いや、ご承知のとおり里子はそれまで、絶対にひとまえで肌をみせることをしなかった。それが事件の翌日から敢然として頭巾も手袋も捨ててしまいました。あの年ごろの娘にかくも重大な決心をさせるには、よほど深刻な理由がなければならぬはずと、それを前夜の殺人と結びつけて考えてみたんですね」(p.434)

以上の事実の観察を根拠にしたのが金田一の次の推測になるわけです。

「里子は泰子殺しの犯人をしっていたとおいいなさるんで?」

「……だと思いますね。それを里子は里子なりにこう解釈したんじゃないでしょうか。つまり自分が醜く生まれつき、しかもそれを気にしすぎる。その結果母がうつくしい泰子にたいして憎悪をもつにいたったのではないか。それだったらじぶんはもう醜さを気にしないことにしよう。じぶんは醜くとも幸福であるから、お母さんも不心得を起こさないでください。……と、いうのが哀れな里子のせめてもの抵抗だったんじゃないでしょうか」(p.434)

「里子」の心情に関する金田一の推測が文字通りの意味で真に正しいものであるか否かは「里子」がみずから語っているわけではないのでわかりませんが、本作を丁寧に読んでくると、金田一の推測の妥当性を否定することにむしろ難しさを感じます。

泰子が殺されるという事件のあとの警察からの聞き取りにたいして、メリハリのきいた回答をするところから、「里子」が聡明な人物であることがわかります。そして、それまでの頭巾と手袋を捨て去り、人前で毅然とした態度をしめすところから、芯のある人物であることもわかります。

そのような聡明で、芯のある人物が、これまで頭巾をかぶり、手袋をつけ、人目を憚るように生活していたということ、その寂しさ、悲しさに注目しないわけにいきませんが、そんな彼女に一夜にして自分の行動を変えるにいたらせたものの正体にも注目しないわけにいきません。

ここで、金田一の推測は十分に説得力のあるものなのではないかと思いました。

つぎに「金田一」と「磯川警部」との情のふかさについてですが、再読して、あらためて、ふたりの心の優しさがその行動のあちこちにあふれていることに気付きました。二人は殺人事件を解決する立場にあるものとして、冷徹に現実を分析してみせ、証言をえるために相手が他人にはしられたくないと思っていることを質問することもときにあるわけですが、人間の心の痛みにふれることについては繊細な配慮をしています。質問をするときだけでなく、質問に答えるときにも、その配慮はあり、一人が躊躇することについては、もう一人が代わりに発言してみせる、という思いやりもみせます。

「聞けばゆうべ由良家のお通夜で、敦子さんからおふたかたに、なにか密々のお話があったらしいちゅう話ですけんど、金田一先生、なにかそないな話は出ませんでしたか」

「はあ、いや、それはうかがいました」

「文子の父親についても……?」

「はあ」

「敦子さんはそれについて、どないいうておいでんさりました」

「さあ、あの、詐欺師の恩田幾三じゃないかと……」

 嘉平はちらと咲枝のほうへ眼くばせすると、

「ああ、やっぱり、あの人は知っておいでんさったな。しかし、あのひとはいったいだれにそないなこと、聞いておいでんさったんです?」

「ああ、それはな、嘉平さん」

 金田一耕助の返事がいかにも苦しそうなので、そばから磯川警部がひきとって、

「お庄屋さんに聞いたちゅうとりましたな」(p.353)

ここで僕が引用したのは一箇所だけですが、このような優しい思いやりは本作のいたるところにあふれています。立花警部補の、ときに無神経な言動とは対照的な金田一と磯川警部の言動がここにあります。立花警部補との対比という点でも、本作の人物描写には一貫したものがあり、丁寧につくりこまれた作品だと思いました。

最後に、僕の投げかけた疑問にたいするブタネコさんからの回答について、いま僕が思うことをしるします。

で、その上で、犯人がこの「民間承伝」を読んだ時に初めて「手毬唄」の存在や内容を知ったと私は考えており、その内容を犯人がどう感じたか?…って事を 私は指摘したいんですよ

ブタネコさんのこの指摘は大切なものだと思いました。たしかに、犯人である「リカ」は犯行におよんだ時点で手毬唄の存在を知っていたでしょう。そして、手毬唄の存在を知ったのは『民間承伝』をつうじてのことであったでしょう。「リカ」はよその地域から鬼首村の亀の湯に嫁に来たわけですから、「リカ」が村にきた昭和7年の時点ですでに鬼首村では廃れていた手毬唄の存在を「リカ」が知ったのは『民間承伝』をつうじてのことだと考えるのが自然です。『民間承伝』に「鬼首村手毬唄考」を投稿したのが「リカ」の事情、「恩田」の事情をよく知る放庵であったとすれば、この雑誌の存在を知った「リカ」の心の動きに思いをはせるのも、この作品を理解するにあたっては欠くことのできないひとつのモメントを構成すると思います。

原作文中(p327)で五百子は

「お庄屋さんのうろ覚えと、わたしのうろ覚えとつなぎあわせているうちに」

と語ってますが、「お庄屋さんのうろ覚え」とされている歌詞が実は放庵の確信犯的誘導だったら… 本当は「錠前屋」とか「秤屋」じゃなくて「ざる屋」とかだったのを 放庵が何気に替え歌を誘導していた…なんてね。

『民間承伝』に投稿するにあたってうろ覚えの記憶を「五百子」と一緒につなぎ合わせるなかでの、放庵の主導的な役割(この場合には意図的な《改作》をともなうような誘導)があったという推測を否定することもむずかしいと思いました。(《改作》はなされず、伝承の原型が「枡屋、秤屋、錠前屋」の組み合わせであったとしても、やはり、恩田の《遺産》とピッタリ一致する手毬唄を公開した人間の存在は、「リカ」にとって恐ろしいものであったでしょう。)が、放庵の誘導という点について、作中に根拠を求めながら議論をつめるのはむずかしいのではないかと、すくなくとも今の時点では僕は考えています。

・・・『悪魔の手毬唄』を再読して、以上のような感想を持ちました。

獄門島』を読んでの感想の提示には、しばらく時間をください。

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