■TVドラマ「SPEC」(庚の回、辛の回、壬の回、癸の回)をみた。
TVドラマ「SPEC ~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~」の「庚の回」と「辛の回」、「壬の回」、「癸の回」をDVD(第4巻と第5巻)で視聴した。
庚の回 「覚吾知真」
辛の回 「魑魅魍魎」
壬の回 「冥王降臨」
癸の回 「百年の孤独」
(「庚の回」と「辛の回」はDVD第4巻に収録、「壬の回」と「癸の回」はDVD第5巻に収録)
僕は「SPEC」をほぼ一週間おきに、三回にわけて視聴したのだが、僕が「SPEC」のDVDを視聴した日にちを明記すると、つぎのとおり。
第1巻:2012年1月2日(月)
第2巻、第3巻:同年1月8日(日)
第4巻、第5巻:同年1月15日(日)
(この記事を書くために、同年1月20日(金)に第5巻を再見した。)
「SPEC」は「ケイゾク」の続編的位置にあり、《世界観》を「ケイゾク」と同じくしている・・・ということは、「SPEC」を視聴するまえに僕も知っていた。
で、実際に「SPEC」を視聴して・・・
「野々村」が「弐係」の係長から「未詳」の係長になっている、とか。
「ケイゾク」で「弐係」の一員だった「近藤」が、「SPEC」において「弐係」の係長になっている、とか。
・・・こういう表面的な連続性、とくに、物語の比較的初期の段階で視聴者にあかされる連続性とは別に、もっと深いところにある内容的な連続性として、《世界観》に属するであろう連続性として気がついたのは、
「SPEC」における「津田」は「ケイゾク」における「朝倉」と同じ位置にあるんだな。
・・・ということ。
「SPEC」における「津田」と「ケイゾク」における「朝倉」。
名前をかえ、顔をかえながら、生き続けるものとして「津田」と「朝倉」がいて、「SPEC」と「ケイゾク」の物語の主要な流れは、それぞれ「津田」、「朝倉」とのかかわりのなかで展開する。
作品の着想の、こういう基礎的な部分で「SPEC」と「ケイゾク」は共通なんだな。
「津田」、「朝倉」の上述の役割とかかわることで、「SPEC」をみていて、気がついたことを、ひとつ。
それは「雅ちゃん」のこと。
「ケイゾク」における「野々村係長」の《愛人》が「雅ちゃん」であったが、それから10年後の物語としての「SPEC」における「雅ちゃん」が、「ケイゾク」から10年後の「雅ちゃん」としては年齢があわないなぁ、と僕は不思議に思っていたのだが、「SPEC」の末尾で、「野々村係長」の妻の名前も「雅」であること、「野々村係長」の歴代の複数の《愛人》の名前が「雅」であることがあきらかになる。
「雅ちゃん」は「SPEC」における「津田」(あるいは、「ケイゾク」における「朝倉」)と類似の位置にたつわけで、本作は、物語の展開の主要な部分に位置する人間と、副次的な、お笑い的部分に位置する人間とが相似形をなすように組み立てられているんだな・・・ということに気がついた。
「ケイゾク」と「SPEC」の類似性、共通性、連続性はたくさんあるから、それらをいちいち指摘することはしないが、「SPEC」のおわりのほうであきらかになることをひとつだけ、特別にここに記録しておきたい。
それは「野々村係長」の次のセリフ。
心臓が息の根をとめるまで、真実を求めてひた走れ。それが刑事だ。
「SEPC」が「ケイゾク」の続編的作品であることをものがたる、じつにわかりやすい箇所だ。
つぎに、「ケイゾク」とのかかわりをはなれたところで、「SPEC」について気づいたことをいくつか記録しておく。
(ここで記録するのは、登場人物の行動など、物語の展開そのものに属することではない、もっと些末なことだ。)
第10話「癸の回」のオープニングで表示される次の文言。
「癸の回 百年の孤独」
これが
「起の回 百年の孤独」
へと、一瞬で切り替えられる。
「癸」が「起」にかわるわけだが、この「起」が「起承転結」の「起」を意味するのだとすれば、これから新しい事件がはじまることが、ここであかされたことになる。
そして、おなじ第10話「癸の回」のエンディングのクレジットのまえに一瞬表示されるのが、次の文言。
「SPEC 承の回 ヘ 祈ル捲土重来」
末尾の末尾で「当麻」が
「映画化とか ぜってえしねえから」
というセリフをしゃべるのだが、これは明らかなウソ。
まぁ、この時点で「SPEC」には次の物語、次の事件をえがく《続編》が存在することがほのめかされているわけだ。
で、実際に映画化される。
このサイトによれば、映画の公開は2012年4月7日(土)とのことだ。
この記事は以上。