■映画「時をかける少女」(2010年版)をみた。
映画「時をかける少女」(2010年版)のDVDをみた。
出演:仲里依紗
公開2010年、122分
お目当ては「仲里依紗」。
映画「ハルフウェイ」をみて、「北乃きい」の友達役を演じた「仲里依紗」に(いいなぁ)とおもった。
それと、「美人時計」に「時をかける少女」とのタイアップで彼女がでてきていて、それで少し興味をもっていた。
本作のレンタルDVDがツタヤにたくさんあった。彼女が走っている姿を横からとらえたジャケット写真のDVDだ。
そういえば、「いきものがかり」が「時をかける少女」の歌のほうをカバーしていたな。ラジオで聞いたことがあるぞ。
・・・で、本作を借りてきた。
作品の冒頭からすごく不思議で、なじめなかったのは、「1972年4月の土曜日」ってところ。
「土曜日」って、1ヶ月のなかにかならず四つ(場合によっては五つ)あるじゃない? 「土曜日」という情報だけで目当ての土曜日に到着できるのかなぁ、って。
僕は「原田知世版」をみたことはあるはずであるが、残念ながら、年代からいって、とくに記憶に残るような視聴のしかたはしていない。そのせいもあるのだろうが、僕には「時をかける少女」というタイトルの作品についてなにも「思い入れ」はない。
「思い入れ」があったら、きっと2010年版をみることによって、それと関連したなにかを感じることがあるのかもしれないけれど、今はとりたてて明記するようなことはない。
本作の舞台(実際に役者たちが動き回る時代)は1974年と2010年。(役者たちが動き回るという観点からいえば、猛烈に小さいサイズであるが、2698年もひろいあげられる。山中の川岸で「深町一夫(=ケン・ソゴル)」ともうひとりが未来の端末を手にして、1974年の新聞の《尋ね人欄》をみて会話をする箇所)
僕には1974年の風景が興味深かった。
むかしはスキーに行くとき、出発の段階からスキーウェアを着ていたんだよなぁ。と。
・・・などなど、と。
あの時代をナマで目撃していない僕には本当らしさの判断はできかねるけれど、僕はDVD再生中にこの点に注目しつづけていた。
さて。
本作で(いいなぁ)とおもったのは、「涼太」が「あかり」をモデルにして、花が咲くまえの冬の桜の並木道を歩かせるシーン。「光の惑星」のエンディングに位置するシーンの撮影だ。("01:12:35"~)
「涼太」のカメラが「あかり」を背後からとらえる。
で、そのあとの会話。
(涼太)「ここの桜、36年後でも咲いてるかな」("01:13:44")
(涼太)「あかりの時代がきた時さ こうやって並んで桜見れたらいいな」("01:13:58")
そして、「涼太」が編集の機械でフィルムを確認する。そこで、「あかり」が「ラストシーン」とかかれたガチンコを手にもっている映像が彼の視野にひろがる("01:22:27"~)。
ここで僕は心のなかに涙が出そうになった。彼女への思いがこみ上げるよ。
それに、ここでの「あかり」の表情がなんともいじらしいこと。はにかみ方がかわいらしい。抱きしめたくなる。
それと、エンディング。
満開の桜の木のしたを上記の映像とおなじアングルで「あかり」が歩くシーン("01:56:03"から"01:57:18")。(今度は本作そのもののカメラが「あかり」を真っ正面からとらえる。)
このあたりね。薄いピンク色の桜の花のあいだを、「あかり」がものすごくステキな笑顔で歩くんだよ。
とくにその最後の静止画面での彼女の表情が最高に魅力的だなぁ。
総じて。
物語の最後の一日の彼女の服装、その服を身につけた彼女が僕はすごく好きなんだよな。個人的に。
「あかり」を演じた「仲里依紗」という女優さんについていえば、ヤンキー風な表情(たとえば、食堂で「涼太」に2010年の技術のあかしとして携帯電話をみせるシーンにおけるような)よりも、おだやかな笑顔のほうがステキだなと。
とくに斜め上から光があたるときの彼女の表情が好きだな。
"01:51:38"あたり(父親から8ミリの映写機を借りるシーン)と、上記の満開の桜の木のしたを歩くエンディングでの表情がとくに。とくにとくにいえば、そのなかでも桜の枝にそっと手を伸ばす箇所が秀逸だな。
それと「光の惑星」をみているときの彼女の表情も。
それと、冒頭で母親といっしょにボートに乗っているときの彼女の表情も。
(僕は笑顔のステキな女性が好きだ、ということの表白にほかならないね、きっと)
この日の一連の出来事をまとめると。。(「この日」というのは彼女の服装から同一の日だと見なすことができそうだから)
父親に8ミリの映写機を借りる。で、友達の家で音のはいっていない未完の8ミリ映画「光の惑星」(監督:溝呂木涼太)をみる("01:53:19"~)。
↓
フィルムの缶には「未来の桜を見る君へ」のメモ書き。
↓
満開の桜並木をあるく「あかり」のステキな笑顔。
これは本作の他の部分間の整合性がどうであろうと、(いいシーンだ)と思う。
(個人的にいえば、8ミリを視聴するシーンには、内村光良監督のテレビドラマ「彼女との時代」を思い出した。たぶん、類似の着想をもった作品はほかにもいくつもあるのだろうけれど、ぼくは「彼女との時代」に猛烈に感動したので、これが僕にとっての参照軸になってしまっている。「彼女との時代」再見したいなぁ。DVDにならないのかな。)
8ミリフィルムの缶にいれられたメモ書きについていえば、「深町」が一度は缶ごと自分の懐に入れようとしたものを、「あかり」の制服のポケットにいれなおしたものだ。
それが1974年の「涼太」から2010年の「あかり」へのメッセージになっているのだから、「涼太」と「あかり」にとってはとても大切なものだ。
おそらく「深町」は過去にやってきた未来人としての行動の規範に反することをしたのだろうが、僕はこういうシーンが好きだ。
そこでの動機の描き方における作為性は脇におくとしても。好きなんだな。
以上、見始めてすぐにいだいた「興ざめ感」をもちつづけつつも、(いいなぁ)と感じた面も多々あったので、よかった面を多めに書いてみた。