■「ゲゲゲの女房」(第5週・第6週)をみた。
NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の完全版DVDの第3巻(第5、6週を収録)をみた。
第5週 「花と自転車」
第6週 「アシスタント一年生」
まず主題歌について。
「いきものがかり」のうたう「ありがとう」。
ヴォーカル吉岡聖恵ちゃんの冒頭のブレス(吸気音)。。これが実に気持ちがいい。いい歌い手だなぁ。
ただ、ドラマそのものについては感想をいうのが微妙に難しい。
東京での二人の暮らしが本格的にはじまり、いろんな出来事が展開していく。
第5週の後半では二人で自転車にのって深大寺に行くとか、第6週では二人で漫画の原稿を書き始めるとか・・と、《とってもいい感じ》の夫婦の姿がえがかれはじめる。
鍋の具が煮えたかどうかをまず第一に気にかける「茂」とか、原稿料がなくてもくよくよしない「布美枝」とか。
そうした夫婦の姿にたいして《ほのぼの》といった意義付けをあたえることは可能であるだろうし、僕自身もそうした意義付けは十分に妥当であると思う。
ただ、問題は第5週の最初のほう。
「茂」に相手にされない「布美枝」が、夫が仕事をしているのに自分が先に寝るわけにはいかないという。
「布美枝」の育った家庭の考え方がもろにあらわれてくる箇所でもある。
《古い因習》といえば、それまでだ。
しかし、「布美枝」が自分の育った家庭の考えを「茂」との生活のうちに持ち込んで、自分で自分をしばってしまうシーンについては、みただけで、つらい思いをする人はいるはずだ。
部屋を勝手に掃除した「布美枝」に「茂」が怒ったりする出来事を媒介にしながらも、じょじょに二人が理解し合い、支え合っていく姿はみていて気持ちがいい。
しかし、「雨降って地固まる」的表現をするとすれば、《雨》がふらないで地が固まったほうが本当はいいんじゃないかな。
本作においては、二人はほのぼのとしたいい夫婦になるのだとしても、現実の人間の生活においては、《雨》ばかりのなかでつらい思いをしている人(とくに女性のほうに多いことが予想される)もいて、そういう人は、このみじかいシーンに《つらさ》を感じるにちがいない。
本当は《雨》ばかりなのに、《地が固まった》と思っていたほうが幸せだから、そう思うようにしている、というような人も間違いなく存在する。
「布美枝」の父親も、「買い物はどうだ」という趣旨の妻の問いかけにたいして、「女がすることまで聞けるか」などというセリフを吐く。
本作に描かれるすべてのエピソード(少なくとも第1週から第6週までのエピソード)をトータルにとらえれば、「布美枝」の父親も《古い因習》的なものに凝り固まっているのではないことはわかる。
しかし、要素要素をとりだすと、やはり、そうした言葉を投げつけられてつらい思いをした女性にとっては、このドラマの描写はつらい経験の思い出を喚起させるであろう。
これが僕の過敏な思い過ごしであればよいのだが。