新編 膝枕

智に働きたいと思いながら、なんかやってます。

■3月13日(土)のこと。~映画版をみた~

2010年3月13日の日記。 ====

(1)
昼頃動き出した。昨夜は人工的化合物を飲んでから横になったのだが、やはり、このほうが目覚めがよい。


(2)
朝ご飯を食べてから、映画版「世界の中心で、愛をさけぶ」のDVDをみた。

 出演:柴咲コウ長澤まさみ、ほか

この件で記事をUPした。


(3)
上記の鑑賞記事は作品の内容に対する言及を一切含んでいない。ぼくが意識的にそういう記事にしたからなのだが、僕が上記の鑑賞記事をそのようなものにした理由を、自分自身のための備忘録としてこの場で明確にしておこうと思う。

以下、比較的長めの文章になるが、これを独立した記事にしない理由は、上記の鑑賞記事で作品の内容に言及しなかった理由と同じところにその根っこがある。読者の皆様には以下の記述からこの根っこのありかを読み取っていただければ幸いである。

* * *



「映画版」は「TV版」に先行する作品である。そうであるがゆえに、僕はその一事をもって「映画版」に敬意を表したい。そう考えたから、鑑賞記事の中では、作品の内容にまったく言及しなかった。

原作本についても同じで、原作本が存在しなければ、TV版も存在しなかった。だから、僕は原作本に敬意を表したい。そう考えたから、原作本を読んだときにも、読書感想文を記事にまとめることもしなかった。

真に敬意を表したいと考えているのなら、作品をじっくりと鑑賞しつくして、なんらかの感想を記事にまとめるべきではないか。そういう考えも成り立ちうるとは思う。

偉大すぎる作品の場合には、敬意を表したいと考えるがゆえに過度に慎重になってしまって、感想記事をまとめるのが難しくなる、ということもあるだろうが、残念ながら、今回の場合には、原作本、映画版ともに、じっくり鑑賞するに値しない(つまるところ「駄作」である)がゆえに、そもそも感想を述べる必要性など感じられない。

そんな作品ではあるが、僕は上記の理由(すなわち、これらはTV版誕生の契機となったものである、ということ)により、これらには敬意を表したい。敬意を表したいがゆえに、今の僕には感想記事をまとめることができない。この辺の理屈を 以下 もうすこしこまかく述べておこう。

* * *



「××をみました。おもしろかったです。俳優の××さんがかっこよかったです(かわいかったです)。」といった感想記事はネットの世界にはしばしばみられるものであるし、僕自身もその程度の感想記事をこのブログに掲載することもあるが、原則として僕はその程度の感想を書きしるすつもりでブログをやっているのではない。

僕がわざわざブログの場でなんらかの感想記事をまとめるのは、僕にその感想を抱くにいたらせた作中における登場人物の言動、構成の妙などを自分なりの言葉で記事にまとめることによって、自分の心の動きを対象化したい、という思いがあるからである。

つまり、ぼくにとって多少なりとも具体的に感想をのべるということは、作品の内容を何らかの程度に具体的に言葉で表現することとむすびつく。

名作であるならば、その内容を言葉で表現しようと試みることが、作品をじっくりと味わうことにもなり、その作品が名作であることの理由を明らかにすることにつながる。しかし、名作ではない作品についてその内容を言葉で表現しようとすることは、その作品のお粗末さをあぶり出すことにつながりかねない。

うえで僕は「駄作」といいきったが、そんな原作本を読んだこと、映画版を鑑賞したことを記録する記事の中で、なんらかの感想を書きしるそうとすること自体が、原作本と映画版のお粗末さをあぶり出すことを意味し、それをブログ記事として公開することは、原作本と映画版にたいする酷評をおおやけにすることを意味する。すくなくとも、今の僕が考えるところでは、そういうことを意味する。

「TV版」は名作であると僕は思う。原作本と映画版は、その「TV版」を生み出すきっかけになったもの、「TV版」をインスパイアしたものである。「TV版」の誕生に何らかの刺激を与えたものに対しては、最大限の敬意を表したい。ゆえに、原作本と映画版については酷評をおおやけにしたくない。僕が原作本と映画版に関して一切感想を述べない道を選んだのはそのためである。

* * *



原作本と映画版にふれて僕がおもったのは、「TV版」がいかに奇跡的な存在であるか、ということである。

世界の中心で、愛をさけぶ」という名前のついた作品は、原作本、映画版のほかにもいくつかあるようだが、それらすべての中で僕が一番最初にふれたのが「TV版」であった。

この「TV版」と一番最初に出会うことができたというのは、実に幸せなことであったと思う。

ここで、唐突ではあるが、「TV版」にふれるきっかけを僕に与えてくださったブタネコさまには感謝の意を表したい。

僕の勝手な思い込みでご迷惑かもしれないが、やはり、「TV版」へと僕を導いてくださったのはブタネコさまであり、この点に関しては、いくら感謝してもしきれない。ブタネコさまがいなかったら、僕が「TV版」にふれるのももっとあとになっていただろうし、ことによると、この名作を僕はずっと知らないままでいたかもしれないのだから。

(「TV版」を知った結果、これにはまりすぎてしまうのも問題なのだけれど。)

※自分のブログの場でこんなことを書きましたが、ブタネコさま、今後ともお手柔らかにお願いします。


(4)
カレーを作った。手抜きだ。

フロに入った。


(5)
TV版セカチューのサントラをPCで再生しながら、この記事を書いている。

昨夜もそうだったが、音が耳に入らないぐらい作文に集中できるっていうのは、この場合、幸いなることだ。


(6)
さて、そろそろ25時になる。


今日の日記はこれにて終了。