新編 膝枕

智に働きたいと思いながら、なんかやってます。

■映画「バースデー・ウェディング」(その3)~物語の時間・空間、登場人物の年齢~

以下、本作の分析的記述にはいる。まずは枠組みの紹介から。

* * *


作品本編だけからわかること。


【登場人物】

この物語の主要登場人物はつぎのとおり。
 (※「××」は名前の読み方)


飯田 千晴 ※ちはる
飯田 紀美子(千晴の母親) ※きみこ
飯田 通也(千晴の父親) ※みちなり
藤澤 克(千晴の婚約者・夫) ※すぐる
藤澤 某(千晴の娘)


「千晴」には子供時代と大人時代とがある。ゆえに、役者もふたりいる。役者名もあわせて主要登場人物を紹介しなおすと次のとおり。


飯田 千晴(大人時代):上原美佐
飯田 千晴(子供時代):工藤あかり

飯田 紀美子:木村多江
飯田 通也:田中哲司

飯田 克:忍成修吾
飯田 某:松元環季


【物語の時間・空間】

この物語は四つの日の出来事だけで成り立つ。結婚式を中心に四つの日を時系列にそってならべ、それぞれに作品本編で明示される登場人物の年齢を重ねるとつぎのようになる。


第一日(I)
 時間:16年前(紀美子の誕生日) 冬
 場所:海
 登場人物:千晴(5歳)、紀美子(32歳)、通也(35歳)

第二日(II)
 時間:結婚式前日 冬
 場所:自宅、自宅近辺
 登場人物:千晴(21歳)、通也(51歳)、克(不明(※注1))

第三日(III)
 時間:結婚式当日(紀美子の誕生日) 冬
 場所:結婚式場
 登場人物:千晴(21歳)、通也(51歳)、克(不明(※注1))

第四日(IV)
 時間:その後 (服装からすると)春か初夏
 場所:海
 登場人物:千晴、克、娘(いずれも年齢不明(※注2))


(※注1)克の上司のスピーチの内容からすると、24、25歳ぐらいと思われる。
(※注2)娘は就学前後とおもわれる。


* * *



【登場人物の詳細な年齢設定】

DVDに付録された特典映像をみると、登場人物の年齢がより詳細に設定されていることがわかる(※注3)。設定された年齢がわかると、この物語の副次的な出来事の時期を特定することが可能になり、その副次的な出来事も物語の一構成要素として取り出しておく必要が出てくる。

(ここでいう副次的な出来事というのは、《回想シーン》とでもよぶべきものである。ここでは、《回想1(A)》、《回想2(B)》のふたつをとりだしたが、《回想2(B)》は副次的な出来事というほどの大きささえももたない、といったほうが妥当かもしれない。しかし、紀美子と通也の会話の機微をとらえるためには、やはり、無視することのできないシーンである。)


回想1(A)
 時間:千晴の生まれる前 季節特定不可能(ただし「冬」ではない。服装からすると「真夏」でもない)
 場所:海
 登場人物:紀美子(27歳)、通也(30歳)

回想2(B)
 時間:《 I 》 のごく直前 秋頃か。
 場所:病院
 登場人物:通也、医者

第一日(I)
 時間:16年前(紀美子の32歳の誕生日) 冬
 場所:海
 登場人物:千晴(5歳)、紀美子(32歳)、通也(35歳)

第二日(II)
 時間:結婚式前日 冬
 場所:自宅、自宅近辺
 登場人物:千晴(21歳)、通也(51歳)、克(25歳)

第三日(III)
 時間:結婚式当日 冬
 場所:結婚式場
 登場人物:千晴(21歳)、通也(51歳)、克(25歳)

第四日(IV)
 時間:6年後 春(※注4)
 場所:海
 登場人物:千晴(27歳)、克(31歳)、愛(6歳)(※注5)


(※注3)特典映像「メイキング」(“00:08”)。壁にはられた衣裳合わせのスケジュール表から。
(※注4)特典映像「メイキング」(“12:01”)。上原美佐の言葉「寒いです。まだ冬なのに、春のシーンとってます。」
(※注5)千晴と克の娘の名前が「愛」であることは、注1にしるしたスケジュール表から知ることができる。


【物語の設定についての私の雑感】

登場人物の数も、場面の数も、きわめて少ない。また、出来事の展開も単純かつストレートである。なお、この作品の長さは73分。登場人物、場面、エピソードの数が、このサイズの映画として多いのか少ないのか、私には判断しかねるが、「バースデー・ウェディング」という作品についていえば、これで何も過不足ないと私は思う。

また、結婚式における千晴のスピーチ、ビデオレター内の紀美子のメッセージを例外として、本作は各場面でのセリフの数もきわめてすくないと思う。


登場人物の年齢について、上にまとめたことからわかることを、ふたつのべておこう。

「紀美子」と「千晴」に「27歳」という点で共通性があることが、まずひとつ。

もうひとつは、子供時代の千晴と千晴の娘(愛)が、それぞれ5歳と6歳で、ひとつの年齢差があること。後者の方が年上であることに注目しておきたい。


* * *



さて、このように本編以外の情報をもとにこの作品について語ろうとするのは不当だとのそしりを免れないかもしれない。しかし、この作品の構成の妙をお伝えするためには必要なことであると私は考えている。

そうはいっても、私自身が(その2)でも書いたように、本編から得られる情報だけをもとにしても、この作品のすばらしさを紹介することは十分に可能だ。

そこで、本稿の最後に、本作のすばらしさがあらわれているところを、本編の情報だけにもとづいて、一カ所だけ紹介しようと思う。この箇所を取り上げるのは、ごく短いシーンであるがゆえに、てみじかに紹介できるからである。


(ビデオレターの末尾)

 目を覚ました千晴(5歳)が紀美子のところによってくる。こみ上げる涙を抑えることができない紀美子。

千晴 「ママ、どこか痛いの?」

 紀美子の背中をさする千晴。

千晴 「パパもどこか痛いの?」

 ここでビデオの映像が止まり、テレビ画面が「ザー」となる。

(DVD本編“46:07”~“47:35”)


たったこれだけのシーンに、実に巧みに紀美子と通也の感情が表現されている。

ここで、ビデオカメラをまわしているのが通也であること、通也も涙を流していること、そして、通也がそれ以上ビデオカメラをまわし続けることができなくなったことがはっきりとわかる。ごくごく初歩的な読解力の問題だから、これをここに書き記すのも野暮だと思うが、こういうなにげない事実の描写によっても人間の感情は表現されるのだ、ということは、明確に言葉で確認しておきたいと思う。


実は、このビデオレターを作った日(つまり、家族3人で海に行った日)の、紀美子と通也の何気ないやりとりの端々に、すさまじいまでの人間の感情が表現されている。これについては、稿をあらためて紹介していくつもりである。

(この稿、つづく)