■TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」再見中(その5)
TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」 のDVDの再見をこころみた。
たったいま、本編全5巻のうちの第5巻(第9話と第10話、そして最終第11話)をみた。
これで本編すべてを再見し終わったわけだが、感想をいうのが難しい。
透明ビニールのカーテン越しに亜紀が朔太郎にキスをねだるとき。
「手」という亜紀の声のかわいらしさ。
そのときどきの朔太郎の表情。
魅力的な、この二人の若い俳優。
いかなる点で魅力的だと感じるのか、まさにここを明記しなければ、感想にならないのだが、どうすればいいのかわからない。
亜紀と朔太郎、ふたりのことよりも、朔太郎の両親である潤一郎(高橋克実)と富子(大島さと子)、二人の担任である谷田部敏美先生(松下由樹)。この三人の懐の深さに、むしろ、感銘を受けた。
では、いかなる点で感銘を受けたのか、これを明記しなければ、このドラマを見た僕の感想記事にはならない。
なのだが、そうする元気がない。
この感じをどうまとめればよいのかわからない。
コントロールしようにもコントロールできない思いというものがあるのであり、その思いを決して否定せず、とにかく見守り続ける。
朔太郎自身がどうにもならない自分のその思いを見守っているのだとすれば、かれらもその思いを見守り続けている。
こういうところに本当の優しさを感じるんだな。
いい大人たちに囲まれているんだな。朔太郎は。
「そんなのにとらわれていても仕方ない」といってしまう人間もいるだろう。でも、彼らはそんなことはいわない。だって、そうできなくて彷徨し続けている人間に、そうしろっていうのは無理でしょ。
そんな無理は決して言わない。とにかく見守り続けている。
これをどう表現すればいいんだろう。
亜紀父である三浦友和については、初見時の感想として記事に書いたことと大きくことなる感想を抱いたわけではないので、ここでなにか追加で書くことはしない。
時をおけば、なにか書けるようになるかもしれない。
最後にひとつだけ。
今回気づいたこと。
智世は龍之介と結婚して娘に亜紀と名前をつけたのだと思っていたが、表札をみたら、龍之介ではなかった。相手は誰だろう? 智世は龍之介のところがあんなに好きだったのに。
今回は、ここまで。