新編 膝枕

智に働きたいと思いながら、なんかやってます。

■お気に入りの歌。たとえば、「Happyend」

「お気に入りの歌。たとえば、○○」という記事のタイトルで、このところの僕は、僕が今年初めて知った曲、あるいは、今年初めてその良さに気づいた曲を紹介している。(このタイトルで最初に記事を書いたときは、連載的に継続するつもりはなかった。思いつきだけでつけた、いい加減で、適当なタイトルだ。)


今回紹介するのは、

  坂本龍一 「Happpyend」


坂本のアルバム 「/05」 に収録されている。
YMOのアルバム「BGM」にはメロディーラインなしのアレンジで収録されている)
最近の坂本はこの曲をピアノのみのライブでよく演奏している。
れっきとしたインストものである。

あれっ、「歌」じゃないの?

とは思わないでほしい。

「歌」 といって、いっこうにかまわないと思う。

ちなみに、坂本がピアノで弾いた曲で僕が好きなのはたくさんあるが、僕が坂本の音楽をまさに坂本の音楽として意識した最初のころのものでは 「amore」 がある。アルバム 「BEAUTY」 に文字通りの「歌入り」が収録されているが、僕が初めて耳にしたのはピアノ版の 「amore」 である。


さて、坂本龍一「Happyend」。この曲をここで紹介するのは、僕がこの曲を知ったのが今年のことであるからだ。まさに、このタイトルで書き継いできた記事の内容にふさわしい。



「すべての音楽は歌である」

つまり、人間が肺から空気を出して、声帯を振動させて、音を出す。
息が足りなくなったら、息を吸いこんで、また息を出す。
当然、そこでは音が止まる。
音楽は人間のこの呼吸と密接に関わっているのだ。
声楽と吹奏楽では息と音との関連がもろにあらわれるが、
どんな楽器をもちいようと、すべての音楽の基礎はここにある。
そういって間違いない、と僕は確信している。


でだ。

そんな理屈をこねるのは専門家に任せるとして、ここでは、人様の言葉をとりあげてお茶を濁すことにする。

まずは、以前僕がこのブログでもすこし記事にした「齋藤秀雄」のことば。

  心で歌え

あと、これは記憶が曖昧なのだが、バーンスタインが振ったマーラーの録音に対するある評論家の言葉。(交響曲8番だったようにおもう。《千人の交響曲》だ。まさに人間が歌っているわけだから、「歌」にはちがいないが、この評論は的をえている。ずいぶん思い切った評論の啖呵を切ったものだ。)

  ここにあるのは、歌、歌、歌。

もうひとつ。これも記憶が曖昧なのだが、小澤征爾が若いころに録音したチャイコフスキー交響曲第5番。これに対するある評論家の言葉。

  小澤のチャイコフスキーはうれしいほどのカンタービレにあふれている。

(シカゴ響か、ボストン響か、どちらかの録音を対象にした評論でのことだ。もっと後のベルリン・フィルとの録音に対してのものではないのは確か。)

そんなふうに演奏される音楽は幸せだと思う。


最後にだめ押しでもう一つ。

バイオリニストの天満敦子。「バッハ:無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」のCDのライナーノーツを中野雄が書いている。ピリオド奏法が優勢な今のクラシック演奏の世界にあって、天満敦子は、自分の奏法がどうあるべきか、なやんだらしい。で、彼女の師匠であるクレッバース氏に相談したらしい。クレッバース氏の回答として中野が紹介しているのがこんな内容の言葉。

  バイオリンは歌うために作られた楽器だ。
  敦子がバッハの音楽を美しいと思うのなら、
  美しく演奏すればよい。


至言だと思う。

(ちなみに、中野雄は東京大学での丸山眞男の教え子であり、丸山の死去まで、音楽談義などを通じて、丸山としたしくつきあいをもった人である。天満敦子は丸山眞男とも面識があり、音楽好きの丸山から、音楽の演奏についてアドバイスを受けたことがある。そのエピソードに関しては、中野雄『丸山眞男 音楽の対話』 (文春新書)をごらんいただきたい)

(上で紹介した言葉は文字通りの引用ではない。手元に資料が一切ないために、正確な引用をおこなうことができないのを遺憾とする)



最後に、坂本龍一の音楽の話題に戻ろう。

オトマロ・ルイーズというピアニストがいる、彼が坂本龍一の曲を自由にアレンジをしてアルバムを作っている。坂本自身も何度もピアノで弾いている Merry Christmas Mr. Lawrence「The Last Emperor」「The sheltering sky」 にも挑戦した意欲作だ。そこで、オトマロ・ルイーズは、「Selfportrait」 も弾いている。(坂本の、シンセを使ったオリジナルは 「音楽図鑑完璧版」 に収録されている) 「Selfportrait」 に関しては、坂本自身のピアノ版よりも、オトマロ・ルイーズによるピアノ版の方が圧倒的によい、と僕は思う。テンポも自由にかえて、音の数も増やして、ものすごい歌心に満ちている。

アルバムタイトルはたしか、「オトマロ・ルイーズ・プレイズ・リュウイチ・サカモト」

名盤だよ。



今回の記事は、これでおわり。