■「風の谷のナウシカ」をみた。 (それと、ブルックナーのシンフォニー)
先日このブログでも書いたことだが、雪の降った日の杉林の光景を見て、この作品の腐海の底をイメージしたからだ。 (その記事はこれ → 「腐海の下」(2009年12月16日))
僕はこの作品をこれまでに何度も何度も見ているので、あらためてここに記すほどの感想はない。
ただ、今回初めて思ったのは、ひょっとしたら今の宮崎駿はこの作品をあまり気に入っていないんじゃないかということ。
ストーリーの展開が異常に早く(せせこましいといってもいいぐらい)、あるひとつの出来事が成り立つのに必要だと想定される時間と、その背後で進行している出来事との時間とがかみあわない。時間的におかしいだけでなく、空間的にもおかしい。
あの小さなガンシップと図体の大きなコルベットとが対等の運動性能をもって、追いかけっこするなんて、あり得ないと思う。
そんなところにばかり目がいってしまう僕がいけないのか?
作品そのものにはいりこむことができなかった。
以前は見るたびにものすごく感動したものだけれども。
話は急に飛ぶように思われるかもしれないが、ブルックナーの交響曲第7番の第3楽章。
これをきくと、「風の谷のナウシカ」 を思い出す。それは、ナウシカをのせたペジテのふねにトルメキア軍のコルベットがその機体をおしつけ、トルメキア軍の兵士がペジテのふねにのりこんでいく。アスベルはナウシカをメーヴェで風の谷に行かせようとする。で、空中に飛び出たナウシカは、トルメキア軍のコルベットの砲撃を受ける。ちょうどそこに風の谷のガンシップがやってきて、トルメキア軍のコルベットを撃墜する…というシーンで流れる音楽が、ブルックナーに似ているのだ。僕の連想を正確になぞるとすれば、ブルックナーをきくと、風の谷のナウシカのこのシーンが頭に浮かぶのであって、逆ではない。つまり、風の谷のナウシカのこのシーンの音楽を耳にしても、ブルックナーは頭に浮かんではこない。
非対称的な連想の関係なのだが、今回の再見で僕が僕に興味を持っていたのは実はこのことで、このシーンの音楽からブルックナーを想起するかなぁ、とおもったが、やはりそんなことはなかった。
今度時間があったら、ブルックナーをあらためてきいて、風の谷のナウシカが想起されるかどうか、確かめてみよう。