■齋藤秀雄についてすこし語ってみる。
音楽をめぐる「事業仕分け」について記事を書いたが、ここでは政治をはなれて音楽そのものの話をしよう。
(なんか、ブログづいているぞ。実は僕ってブログ好きなのか?)
この件で《政治》などということを僕が急に言い出したのは、この件を知ったのが急だったから。
きょう、所用で朝早くに出かけた僕は午後2時過ぎに帰ってきた。パソコンを開いてみたら、僕がRSSで更新状況をキャッチしているあるブログが、すごく久しぶりに更新されていた。
言葉少なく、次のブログ記事へのリンクがはられていた。
◆例の事業仕分けで日本のオーケストラが大変なことに・・・
行き先のブログの主の名は「飯森範親」 (http://www.iimori-norichika.com/)。
指揮者だ。
彼は桐朋学園を卒業している。
そこで桐朋学園大学の創設者の一人である齋藤秀雄について語ることにした。
ご存じの方も多いかもしれないが、ウィーン国立歌劇場の音楽監督として有名な小澤征爾という指揮者がいる。小澤征爾は齋藤秀雄の一番弟子だ。桐朋学園女子高等学校に付設された音楽科の一期生の一人が小澤征爾で、小澤征爾は齋藤先生に音楽の基礎をたたき込まれた。実に怖いレッスンだったらしい。
僕がアメブロのルームにしるした「座右の銘」
心で歌え
じつはこれは齋藤先生の言葉なんだね。
いくつか名言を残している。
「型には入れ、そして型から出よ」
「日本には西洋音楽の伝統はない。しかし、悪い伝統もないから、西洋のよいところだけを学べばよい」
そんな調子で学生に合奏の基礎をたたきこむわけだ。
指揮の腕の動きを分析して『指揮法教程』をあらわしてもいる。(読んでいないが僕はこの本を所有している。東京都内のある喫茶店で隣のおじさんがこの本を読んでいるのを目撃したことがある)
齋藤先生が日本フィルを指揮している映像がDVDで発売されているが、それを見ると、じつにかっちりした棒の振り方をしているのがわかる。
縦の指揮者だったんだね。
それが齋藤先生が死ぬ直前の有名な「最後の合宿」では完全に横の指揮者になっていたという。
齋藤先生ゆかりの「サイトウキネンオーケストラ」。
このオケが演目終了後によくその第2楽章を演奏する「モーツァルト:ディヴェルティメント K136」。
この曲が最後の合宿で練習され、温泉に泊まっている客たちを前に学生たちが演奏をした。それがテープに録音され、CDにもなっている。
「嬉遊曲」と訳されることもある「ディヴェルティメント」をきいた温泉の宿泊客が
「ディヴェルティメントというのはお葬式の曲という意味ですか?」などとたずねたという。
ものすごい心のこもった演奏だ。
この記事をしるしていたら、この演奏のイメージが頭によみがえってきて、もう泣けてきた。
その合宿の一ヶ月後に齋藤先生は死んでいる。
齋藤先生のちょうど10年目の命日(および命日の前日)に、弟子たちが集まって大阪と東京でオケの演奏会を開いている。それが「サイトウキネンオーケストラ」の前身なわけだが、その東京での演奏会がまた録音されCDになっている。
これがまたすごい。
とくに僕が好きなのが「シャコンヌ」。
学生に音楽の基礎を教えるため、学生オケに弾かせるために、ブゾーニのピアノ版を元に齋藤先生がみずからオケ版に編曲した。小澤征爾をわきにおいて、ゆっくり編曲を進めていったという。パート譜の印刷など印刷所とのやりとりまで小澤征爾がすべてやったらしいから、小澤征爾はこの曲を文字通り隅から隅まで知り抜いているわけだ。
で、その小澤征爾が、齋藤先生の命日に齋藤先生の弟子たちで編成したオケを振った。
このときのシャコンヌに対するある評論家の言葉がまた強烈で、たしか、
「小澤征爾を飛び越えた奇跡の名演」
このシャコンヌを、ぼくは、まったくの誇張なしに、何百回と聞いている。
じつによいよ。
これをきくと、人間を信頼したくなる。
人間にはここまでできるんだって。
この件で長く記すと、また泣けてくるので、そろそろやめる。
正確に書き記すための資料が手元にないから、記憶だけに頼らざるをえないし。
ひとつだけ、齋藤先生の名言を最後に記す。
「意外に思うかもしれないけど、僕はモーツァルトが好き」