■TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」 初見後の数日間。
TV版「世界の中心で、愛をさけぶ」(本編DVD5枚)を見終わったあとは、眠れなかった。
疲れてはいるのだが、眠くならない。でも、再見すると、完全に《壊れる》事態になりかねない。だから再見はしない。ドラマのいろんなシーンを頭の中にながしつつ、布団のなかにいた。
(高等遊民だからできる芸当ではある。世の中の大多数の方に対しては申し訳ない)
亜紀と朔太郎のことが僕の頭からはなれないのはもちろんだが、むしろ強力な印象を残したのは、三浦友和演じるところの亜紀の父親だ。
「今苦労しておけば後で楽になる」といって、亜紀の生活を拘束し、陸上部もやめさせ、亜紀が朔太郎と交換しているカセットテープを捨ててしまうことを当然のことと考えている亜紀父。
非常にけしからん人間だ。と僕は思う。
でもだよ。
自分を前にして言葉のでない朔太郎に
「人にあったらまず挨拶をしなさい」
あるいは
「他人に話すときには、おじいちゃんではなく、祖父といいなさい」
学校を抜け出して、亜紀の病室にやってきている朔太郎に
「そんなことのまえに君にはやることがあるんじゃないのか…(12時を指している腕時計をみせて)…学校に行け」
すごいまっとうだよね。
それに、「君は大学はどうするつもりだ。君にも君の人生があるんだ」云々という朔太郎への問いかけ。
いずれも社会人として当然のことを指摘しただけだから、亜紀の父親が格別にえらいわけではない。
むしろ、亜紀が病気になって以降の朔太郎の行動を放任している周囲の大人たちの方が妥当性を欠いているのではないかとおもう。
でね。
僕がそんな亜紀父の行動に感動してしまうのはこんなこと。
亜紀の母親はウエディングドレスを持っていたよね。
明確な描写がなされているわけではないから、僕の妄想に属することだけれど、彼は妻にそうしてやりたかったんだろうね。貸衣装ではなく、妻のために仕立てたドレスを着させてやりたかったんだろうね(完全に僕の妄想)。で、それだけの経済力を身につけて、それを維持し続けている。
亜紀の病室の広さは何? 真島さんの病室と比較してごらん。亜紀のは超特別個室じゃないかい? 無菌状態の確保が必要になる病気だから、大部屋ではダメだといっても、あれほどの広さの個室は必要ないんじゃない?
亜紀が病気になるまでの家庭の雰囲気がよいものだとは思わないし、そんな家庭を作った亜紀父の考えには同意できない。どんなに稼ぎがあっても、そんな家庭をつくってしまっては、本末転倒だとおもう。でも、最低限の稼ぎは、やはり、なくてはいけないのだ。そして、亜紀父の場合は、たくさんの金がなくてはできないことを、妻と娘のためにやってあげたのだ。
あれほどプライドが高くて、隙を見せないようにつとめていた亜紀父が、亜紀のベッドの傍らで居眠りをし、書類もおきわすれていく。
自分には見たことのない娘の笑顔を夢島での写真の中にみてしまう。
さらに、ウルルにいくために朔太郎と一緒に病室を抜け出した亜紀のベッドのうえに並べられたカセットテープをみて、なんていった?
「まちなさい」。
亜紀母が動転してすぐに探しに行こうとするのを制止してこういうんだよね。
あれほどの知的な人間なら、カセットテープのインデックスにかかれた宛名書きを瞬時に読み取って、そこに朔太郎宛のものがふくまれていないことにすぐにきづいたはず。亜紀は朔太郎と一緒にいるつもりなのだから、朔太郎宛のテープがないのも当然だ。この意味をすぐに理解したはずだ。
(これは僕の妄想ではない。葬儀の後に亜紀母が谷田部先生、智世、中川、大木にテープを渡すときのやりとりに手がかりがある。「朔太郎のは?」にたいして、亜紀母は「朔太郎君と最後まで一緒にいるつもりだったみたいで」といっている。)
家族を幸せにする方法に勘違いがあったようには思うけれど、娘を幸せにしてやりたかったそんな男が、自分の娘が朔太郎のほうを選んだことをうけいれて、娘の幸せをできる限り実現してやろうとするのは、強さだと思う。
そんななかで見せる亜紀父の最後のプライドがこれ。
朔太郎との結婚写真をとることを、亜紀がウォークマンを通じて亜紀父に伝えたシーン。(実は、その日すでに、亜紀父は朔太郎父に写真をとってやってほしいとお願いをしている)
「時間と場所がわからないじゃないか。そういうところに誠意が表れるんだ」
それに僕はこんなシーンも好きだ。
亜紀のいないベッドを見て、主治医は「今の状態で外出するなんて自殺行為だ」という。いくつかの会話のやりとりがあった後で、亜紀父は主治医にこう尋ねる。
亜紀父 「これは自殺なのでしょうか?」
主治医 「反抗期ですよ」
これは末期患者をかかえた医者が「人間としての医者」の責任を果たした瞬間だ。
亜紀父の話題から少しそれた。
さて。
17年後にうつろう。
現代朔太郎が亜紀父宅に自転車でのりつけ、庭をのぞき込んでいるところに、亜紀父が帰ってくる。びっくりする朔太郎。
「前にも言ったが、人にあったらまず挨拶をしなさい」
あのプライドがかわっていない!!
そして波止場での亜紀父と現代朔太郎のやりとりにこんなのがある。
亜紀父 「亜紀のことはもう忘れたのか」
朔太郎 「どうなんでしょう?」
亜紀父 「そんなことじゃ、相手の女性に失礼だぞ」
はい、全くその通りだと僕は思います。
亜紀父自身がそのような気持ちで女性に対していなければ、言えないセリフだと思う。
いい男だ。
それだけに残念なことが一つ。
どうして大事な娘に母親の手作り弁当を持たせてやらない?
……
とまあ、こんなことを考えながら、布団の中に閉じこもっていた。
前回のセカチュー記事の中で少し言及したが、TV版セカチューを記憶にとどめるきっかけを僕にあたえてくれたのは北海道在住の、とあるブロガー様だ。その方が、僕がセカチューを初見しようとしているまさに時期に、ご自身のブログにセカチューについての考察記事をあらたに掲載し、そこで柴咲コウ「かたちあるもの」の動画を紹介しておられるのだが、僕はそれを繰り返し繰り返し再生していた。
どうもありがとうございます。
さてさて。
(返却前に再見しよう) 初見の途中、DVDの2巻か3巻目ぐらいまでは、実はそう思っていた。しかし、最終回に近づくにつれて、「再見なんてしたら、セカチューから完全に抜け出すことができなくなる」と思い始め、エンディングをむかえてその思いが確信にかわった。
TBSのオフィシャルサイトをのぞいて、《特別編》があることを知ったが、しかし、それさえも見る勇気が出ない。
見たいが見たくない。
見たら壊れる。
でも、《特別編》は一回だけみて、あとは本編ともども見るのを封印しよう、と決めて、期限ぎりぎりの今日の開店前に返却ボックスに返しにいった。で、開店後に店内でさがしたら、その店は《特別編》の取り扱いのない店だった。
不幸中の幸いであった。
さてさてさて。
綾瀬はるかに魅了された僕は、今度は「ハッピーフライト」を借りてきたよ。
※最後に、この記事を読んでくださった方へのお願い。
僕は「世界の中心で、愛をさけぶ」を一回しか見ておりません。ゆえに、いちいちのセリフや場面の記憶には細部において不鮮明な箇所が多々あります。正確な再現をおこなうためにTV版セカチューを再見することは、今の僕にはできかねますので、このまま掲載します。とくにTV版セカチューファンの方々にはご寛恕いただければ幸いに存じます。
疲れてはいるのだが、眠くならない。でも、再見すると、完全に《壊れる》事態になりかねない。だから再見はしない。ドラマのいろんなシーンを頭の中にながしつつ、布団のなかにいた。
(高等遊民だからできる芸当ではある。世の中の大多数の方に対しては申し訳ない)
亜紀と朔太郎のことが僕の頭からはなれないのはもちろんだが、むしろ強力な印象を残したのは、三浦友和演じるところの亜紀の父親だ。
「今苦労しておけば後で楽になる」といって、亜紀の生活を拘束し、陸上部もやめさせ、亜紀が朔太郎と交換しているカセットテープを捨ててしまうことを当然のことと考えている亜紀父。
非常にけしからん人間だ。と僕は思う。
でもだよ。
自分を前にして言葉のでない朔太郎に
「人にあったらまず挨拶をしなさい」
あるいは
「他人に話すときには、おじいちゃんではなく、祖父といいなさい」
学校を抜け出して、亜紀の病室にやってきている朔太郎に
「そんなことのまえに君にはやることがあるんじゃないのか…(12時を指している腕時計をみせて)…学校に行け」
すごいまっとうだよね。
それに、「君は大学はどうするつもりだ。君にも君の人生があるんだ」云々という朔太郎への問いかけ。
いずれも社会人として当然のことを指摘しただけだから、亜紀の父親が格別にえらいわけではない。
むしろ、亜紀が病気になって以降の朔太郎の行動を放任している周囲の大人たちの方が妥当性を欠いているのではないかとおもう。
でね。
僕がそんな亜紀父の行動に感動してしまうのはこんなこと。
亜紀の母親はウエディングドレスを持っていたよね。
明確な描写がなされているわけではないから、僕の妄想に属することだけれど、彼は妻にそうしてやりたかったんだろうね。貸衣装ではなく、妻のために仕立てたドレスを着させてやりたかったんだろうね(完全に僕の妄想)。で、それだけの経済力を身につけて、それを維持し続けている。
亜紀の病室の広さは何? 真島さんの病室と比較してごらん。亜紀のは超特別個室じゃないかい? 無菌状態の確保が必要になる病気だから、大部屋ではダメだといっても、あれほどの広さの個室は必要ないんじゃない?
亜紀が病気になるまでの家庭の雰囲気がよいものだとは思わないし、そんな家庭を作った亜紀父の考えには同意できない。どんなに稼ぎがあっても、そんな家庭をつくってしまっては、本末転倒だとおもう。でも、最低限の稼ぎは、やはり、なくてはいけないのだ。そして、亜紀父の場合は、たくさんの金がなくてはできないことを、妻と娘のためにやってあげたのだ。
あれほどプライドが高くて、隙を見せないようにつとめていた亜紀父が、亜紀のベッドの傍らで居眠りをし、書類もおきわすれていく。
自分には見たことのない娘の笑顔を夢島での写真の中にみてしまう。
さらに、ウルルにいくために朔太郎と一緒に病室を抜け出した亜紀のベッドのうえに並べられたカセットテープをみて、なんていった?
「まちなさい」。
亜紀母が動転してすぐに探しに行こうとするのを制止してこういうんだよね。
あれほどの知的な人間なら、カセットテープのインデックスにかかれた宛名書きを瞬時に読み取って、そこに朔太郎宛のものがふくまれていないことにすぐにきづいたはず。亜紀は朔太郎と一緒にいるつもりなのだから、朔太郎宛のテープがないのも当然だ。この意味をすぐに理解したはずだ。
(これは僕の妄想ではない。葬儀の後に亜紀母が谷田部先生、智世、中川、大木にテープを渡すときのやりとりに手がかりがある。「朔太郎のは?」にたいして、亜紀母は「朔太郎君と最後まで一緒にいるつもりだったみたいで」といっている。)
家族を幸せにする方法に勘違いがあったようには思うけれど、娘を幸せにしてやりたかったそんな男が、自分の娘が朔太郎のほうを選んだことをうけいれて、娘の幸せをできる限り実現してやろうとするのは、強さだと思う。
そんななかで見せる亜紀父の最後のプライドがこれ。
朔太郎との結婚写真をとることを、亜紀がウォークマンを通じて亜紀父に伝えたシーン。(実は、その日すでに、亜紀父は朔太郎父に写真をとってやってほしいとお願いをしている)
「時間と場所がわからないじゃないか。そういうところに誠意が表れるんだ」
それに僕はこんなシーンも好きだ。
亜紀のいないベッドを見て、主治医は「今の状態で外出するなんて自殺行為だ」という。いくつかの会話のやりとりがあった後で、亜紀父は主治医にこう尋ねる。
亜紀父 「これは自殺なのでしょうか?」
主治医 「反抗期ですよ」
これは末期患者をかかえた医者が「人間としての医者」の責任を果たした瞬間だ。
亜紀父の話題から少しそれた。
さて。
17年後にうつろう。
現代朔太郎が亜紀父宅に自転車でのりつけ、庭をのぞき込んでいるところに、亜紀父が帰ってくる。びっくりする朔太郎。
「前にも言ったが、人にあったらまず挨拶をしなさい」
あのプライドがかわっていない!!
そして波止場での亜紀父と現代朔太郎のやりとりにこんなのがある。
亜紀父 「亜紀のことはもう忘れたのか」
朔太郎 「どうなんでしょう?」
亜紀父 「そんなことじゃ、相手の女性に失礼だぞ」
はい、全くその通りだと僕は思います。
亜紀父自身がそのような気持ちで女性に対していなければ、言えないセリフだと思う。
いい男だ。
それだけに残念なことが一つ。
どうして大事な娘に母親の手作り弁当を持たせてやらない?
……
とまあ、こんなことを考えながら、布団の中に閉じこもっていた。
前回のセカチュー記事の中で少し言及したが、TV版セカチューを記憶にとどめるきっかけを僕にあたえてくれたのは北海道在住の、とあるブロガー様だ。その方が、僕がセカチューを初見しようとしているまさに時期に、ご自身のブログにセカチューについての考察記事をあらたに掲載し、そこで柴咲コウ「かたちあるもの」の動画を紹介しておられるのだが、僕はそれを繰り返し繰り返し再生していた。
どうもありがとうございます。
さてさて。
(返却前に再見しよう) 初見の途中、DVDの2巻か3巻目ぐらいまでは、実はそう思っていた。しかし、最終回に近づくにつれて、「再見なんてしたら、セカチューから完全に抜け出すことができなくなる」と思い始め、エンディングをむかえてその思いが確信にかわった。
TBSのオフィシャルサイトをのぞいて、《特別編》があることを知ったが、しかし、それさえも見る勇気が出ない。
見たいが見たくない。
見たら壊れる。
でも、《特別編》は一回だけみて、あとは本編ともども見るのを封印しよう、と決めて、期限ぎりぎりの今日の開店前に返却ボックスに返しにいった。で、開店後に店内でさがしたら、その店は《特別編》の取り扱いのない店だった。
不幸中の幸いであった。
さてさてさて。
綾瀬はるかに魅了された僕は、今度は「ハッピーフライト」を借りてきたよ。
※最後に、この記事を読んでくださった方へのお願い。
僕は「世界の中心で、愛をさけぶ」を一回しか見ておりません。ゆえに、いちいちのセリフや場面の記憶には細部において不鮮明な箇所が多々あります。正確な再現をおこなうためにTV版セカチューを再見することは、今の僕にはできかねますので、このまま掲載します。とくにTV版セカチューファンの方々にはご寛恕いただければ幸いに存じます。