■テレビドラマ「悪魔が来りて笛を吹く」(金田一:古谷一行、1977年)をみた。(下)
古谷一行が金田一耕助を演じたテレビドラマ「悪魔が来りて笛を吹く」(全5回、1977年放送)の第3話から最終第5話をDVDで視聴した。
(「■テレビドラマ「悪魔が来りて笛を吹く」(金田一:古谷一行、1977年)をみた。(上)」のつづき)
注意! この記事はネタバレ満載です。
第3話。
第1話と第2話では占いのおこなわれた日、すなわち、玉虫元伯爵が殺された日の日付が明示されてこなかった。
が、この第3話のいくつかのエピソードからその日付が9月29日であることがわかる。
(占いのおこなわれたのは29日であるが、占いのあとの玉虫元伯爵の殺害が日付をまたいでいるか否かは、厳密に言えば、不明。)
つまり、この日にちも原作とドラマでは共通であったのだ。
このブログにすでに掲載した感想記事の「上」で僕が「物語の導入のなかで一連の出来事の日付は原作をなぞっているのだ。」というように物語の導入(天銀堂事件から英輔失踪)のことだけに言及し、占いの日以降の事件の日付に言及しなかったのは、ドラマでは占いの日の日にちを限定する情報がいっさい提示されてこなかったからである。
提示されていないものについては、原作をなぞっているか否か、問題にすることさえできない。
それが、第3話で、ミナトハウスで「おとついって10月1日ですね」といったやりとりがなされることで金田一たちの須磨到着の日付があきらかにされるとともに、妙海が目にしている、玉虫氏殺害を伝える新聞の日付があらわれたり、「明日が玉虫氏の初七日」という旨の発言、利彦氏の殺害、金田一に帰京を要請する東京から須磨への連絡といったエピソードがあらわれたりすることによって、占いと玉虫氏殺害があったのが9月29日であったことが明確になる。
このドラマは、あからさまに字幕などで示すことはしなかったけれど、この日付まで原作を踏襲していたんだな。
(さらにいえば、金田一たちの三春園到着の日にち(10月3日)、妙海殺害の日にち(10月3日)、利彦殺害の日にち(10月4日)も原作とドラマで共通。)
日付にこだわっているから、ついでに。
感想記事の「上」で「警察から帰ってきた英輔が美禰子に《このいえには悪魔がすんでいる》とつげた日はドラマと原作で異なる。」としるしたのみで、どこがどう違うのか、根拠を示さなかったので、それをここで示すことにすると。
原作とドラマともに、英輔が最初に警察に呼ばれたのは2月20日である。
英輔氏が警察から帰ってきて、美禰子に密告者がこの家にいる、悪魔が住んでいるなどの告白をした日付は、原作では2月26日と明示されている。
一方、ドラマではその日付は明示されないが、食堂でのお茶の会話のなかで「英輔が警察に引っ張られてきょうで四日になる」という発言がなされる。英輔氏が警察から帰ってきたのはその最中のことであり、英輔が美禰子に密告者や悪魔のことをつたえるのは、その直後のことである。となると、この日は26日ではない。
ゆえに、「警察から帰ってきた英輔が美禰子に《このいえには悪魔がすんでいる》とつげた日はドラマと原作で異なる」わけである。
さらに日付のことでこだわりをみせると。
つぎのところでも原作とドラマで日付が異なる。
(1)劇場で英輔似の人物があきこ、菊江、種の三人によって目撃された日(原作は9月25日、ドラマは9月28日)
(2)美禰子が金田一のところをおとづれて占いへの参加を依頼した日(原作は9月28日、ドラマは9月29日)
(3)英輔の自殺決意が天銀堂事件の嫌疑をかけられるまえになされたことが判明した日(原作は10月1日、ドラマは9月30日)
なかなか興味深い。
ドラマにあらわれる新聞の日付は「昭和22年(1947)10月1日(水曜日)」。
(現実世界においてもこの日は水曜日だ。)
となると、9月28日は日曜日。ドラマでこの日はあきこ、菊江、種が3人で劇場にいった日だが、日曜日だからわざわざ3人で観劇したのかな、とふと思った。
で、「明日の切符じゃなくてよかった」といって菊江がひとりで観劇に出かけた10月4日は土曜日。
翌日も切符を購入する可能性があったわけで、それは日曜日。
観劇のスケジュールを考慮にいれて、ドラマはいくつかの日付の変更をしたのかな、とチラッと妄想してみた。
で、第3話初見後。
原作の該当箇所(第17章から第21章)を読み直し、第3話を再見して。
ドラマは登場人物のもろもろのセリフを、語り手がいちいちの出来事に意義付けをあたえるかのようなナレーション的役割をもになうように再構成することによって、重要な情報をコンパクトな尺のなかで視聴者につたえているんだなと思った。
原作のセリフの文言が、発話の主体の変更をともないながらも、そっくりそのままドラマのなかにくりかえされる箇所が多くて、もうビックリ。
とにもかくにも。
石灯籠にしるされた「悪魔 ここに 誕生す」の文言が消された日(原作では10月4日、ドラマでは10月3日)、英輔似の人物が「ミナトハウス」をおとづれた日(原作では10月4日、ドラマでは10月3日)、10月1日よりまえにおこまがおたまのいる「ミナトハウス」をたずねたことの有無(原作ではおたまをたずねてくる人はいなかった。ゆえに、おこまも10月1日よりまえにミナトハウスにおたまをたずねたことは一度もない。一方、ドラマではおこまはおたまを何度もたずねてきて、いつも長時間話し込んでいた)などの点で原作とドラマは違いをもちながら、そうじてドラマは原作の要所を再現している。
つぎに第4話を初見して。
ついにドラマの構成にほころびがみえはじめた。
利彦が殺されたのは10月4日の夜。
金田一をよびよせる東京警視庁の連絡が兵庫県警にとどき、金田一にその旨伝えられたのは、もう太陽がのぼった時間帯。すなわち、4日の翌日たる5日。
で、金田一は鉄路で東京に戻り、椿邸にゆく。まだあかるい時間帯だ。
利彦殺害時のことをお種、菊江、東太郎にたずねるとき、金田一は「ゆうべ」という言い方をしている。
となると、金田一が東京に戻ったのは5日。
金田一は5日のあかるい時間に須磨をたち、同日のあかるい時間に東京についてしまったのだ。
当時の交通事情で、すくなくともこのドラマの設定での交通事情で、そんなことが可能だったのか?
否である。
ほかならぬこのドラマのなかでの金田一の言葉によれば、3日夕刻に妙海を殺した英輔似の人物は4日に神戸の「あるところ」にあらわれているらしい。さらに、つづく金田一自身の言葉で、英輔似の人物は利彦殺しの犯人ではない、なぜなら、その時間に神戸から東京に戻ってくることはできないから、と明言している。(*注2)
つまり、神戸から東京への鉄路での移動にはそれだけの時間がかかるのだ。
ちなみに、原作では5日に神戸を発った金田一の東京到着は6日のことになっている。原作の表現はつぎのとおり。
六日の午前十一時ごろ。椿邸の応接間。昨日の朝、須磨寺の宿で凶変を聞いた金田一耕助は、あとは出川刑事にまかせておいて、その夜の汽車で神戸をたつと、今朝東京駅へ着いたその足で、椿邸へかけつけて来たのである。(pp.327-328)
原作ではなんの矛盾もない。
(ちなみに、ドラマには薄暗いなかを汽車が走るシーンがあり、そのシーンの直後に、車中で金田一がメモを書きながら考えことをしているシーンが配置される。隣の乗客は居眠りをしているようだ。となると、金田一は夜汽車で6日に東京に到着したという解釈も可能になるが、椿邸で聞き込みをする金田一の言葉が「ゆうべ」であるとなると、結局はこのドラマの内部の整合性は欠落していることになる。)
というケチはともかく。
第4話では目賀博士が殺されてしまった。(こんなのは原作にはない)
それはおそらく6日の朝のこと。
そして、同じ日にタイプライターの問題があつかわれる。
密告状ではXとYがあべこべになっていること、ドイツのタイプライターではXのキーとYのキーが逆につていることがあきらかになる。(原作では前者は9月30日、後者は10月1日)
天銀堂事件の真犯人である飯尾の死体が発見される。検死では死後二日ほど。となると、これは7日の夜。
(東太郎の告白では目賀博士殺害の前に飯尾を殺しているから。)
第5話。
真犯人があきらかになった。
みんなに嫌われていた人物にからまる家族愛的なものがあらわれてきてしまったぞ。
原作では一彦は父親殺しについて真犯人を難詰するようなことはしないし、美禰子も利彦を擁護するようなことはまったくない。
なのに、このドラマでの正義感的、家族愛的な反応はなんだ。
人間ドラマの重要なところで原作をおおきくかえてしまったか。
あきこが自殺してしまったぞ。
母子の情愛が描かれてしまったぞ。
ここにいたってこのドラマは急激に根底から原作と変わってきてしまった。
このドラマのあちこちで菊江が捜査の様子をのぞき見ていたり、部屋のなかのようすをドア越しにうかがっていたりと、おもわせぶりなシーンがちりばめられていた。
が、結局このドラマでも菊江は事件の真相になにもからんでこない。
全5話の連続ドラマとして視聴者の注意をひきたいがための演出だったのかな。
第4話までの感想で日付にこだわってきたが、第5話の出来事の日付を特定することはいっさい不可能。
(東太郎(治雄)の出征は原作では昭和19年だったが、このドラマではなぜか昭和18年になっている。どうして? という疑問はある。)
このドラマは原作に忠実だから、原作を読むための予習になるかもしれない。
が、エンディングはこのドラマ独自のものである。
原作を知らなければ、このドラマの展開を最後まで首尾一貫したものととらえたかもしれない。
原作を知ってしまっているからか、ドラマ末尾の応接間での出来事が薄っぺらく感じてしまった。
この記事は以上。
*注2
第4話の等々力と金田一の会話のなかに金田一の次のセリフがある。
「ぼくはねえ、四日の夜、そいつは東京にはいなかったと思うんです。四日の朝の九時半ごろ、椿子爵、あるいはそれらしい人物が神戸のあるところに現れているんです。それからすぐ汽車に乗ったとしても、ちかごろの汽車の状態では、とても四日の夜までに東京につくことはできません。」
ちなみに、ドラマでの金田一のセリフとほとんど同一のセリフが原作にある。
「ぼくの考えるにはねえ、警部さん、四日の夜、そいつは東京にいなかったんじゃないかと思うんです。なぜって、四日の朝、そいつは神戸にいたんですからね」警部はびくっとしたように眉を動かした。そして物問いたげな眼で、耕助の顔を見おろしている。耕助も無言のままうなずきながら、
「そうなんです、四日の朝の九時半ごろ、そいつは神戸のあるところへ現われているんです。それからすぐに汽車に乗ったとしても、ちかごろの列車のこの状態じゃ、七時半までにここへ到着出来たかどうか、いや、それよりも僕の考えじゃそいつはある女を探しもとめて、まだ神戸をうろついているんじゃないかと思うんですがね」(pp.347-348)
この原作のセリフ中の「神戸のあるところへ現われている」というのは、ミナトハウスにおたまをたずねていったということである。が、ドラマではその男は3日の時点でミナトハウスをたずねている。このドラマでその男が4日の九時半にあらわれた神戸のあるところというのは、ミナトハウスではないところだったのかな? もういちどミナトハウスにいったのかな? (4日九時半のその場所はドラマでは明示されない。)
ドラマは英輔似の人物の行動の設定を変更したのに、それに連動するような箇所での設定の変更はしなかったのか。
ともかく、このドラマのこの箇所には整合性がないということの指摘としてはこれで十分だろう。