■横溝正史『獄門島』(その2)
「横溝正史『獄門島』(その1)」(掲載日:2013年10月11日(金))のつづき。
「その1」の注4ではテキストによって章立ての階層に違いがあることを指摘した。
ここで僕の手もとにある『獄門島』の3つのテキストの章立てを表にしてみよう。
ここにいう3つのテキストとは次のものである。
横溝正史『獄門島』(講談社、1977年)
横溝正史『獄門島』(角川文庫、1971年初版、1996年改版)
横溝正史『横溝正史自選集2 獄門島』(出版芸術社、2007年)
(以下、それぞれ「講談社」「角川文庫」「出版芸術社」と呼ぶことにする)
この表からわかることを箇条書きにしよう。
1)講談社と出版芸術社では「第四章 近づく足音」で「跫」と「足」の字体の違いがあるだけで、あとはまったく同じである。(以下、「講談社と出版芸術社」を出版年の古い講談社に代表させて、「講談社」ということにする。2つを区別する必要があるときには、その旨明示する)
2)講談社における「第六章 錦蛇のように」の「錦」が角川文庫では「にしき」と平仮名にひらかれている。
3)講談社における「第一章」が角川文庫では「プロローグ」になっている。
4)角川文庫は講談社の「章」のうちのいくつかを「章」に残して番号を振り直し、そこから抜け落ちたものを章の下位の小見出しにしている。
5)講談社では第二十五章のタイトルが「封建的な、あまりにも封建的な」であったが、角川文庫ではそのタイトルから助詞の「も」が抜け落ちている。
6)講談社における「大団円」は、「金田一耕助島を去る」へとタイトルが完全にとりかえられている。同時に、角川文庫にだけ存在する「プロローグ」に対応させて、「エピローグ」という名づけがあたえられている。
以上、3つのテキストにおける章立ての異同をしめしたが、うえの表をみるかぎりでは、各区切りに名前の違いはあっても、区切りの数は3つのテキストのあいだで共通である。
しかし、区切りの挿入箇所を精査すると、「角川文庫」だけ他の2つと区切りの位置がちがう箇所がひとつ見つかる。
それは「海へ飛び込んだ男」の部分である。
まず、「角川文庫」における該当箇所をここに広めに引用してみよう。
この引用中の「世にもはればれと笑ったことである。」と「警察のランチは沖に停泊する。」のあいだに一行空きがあるのは、「角川文庫」の原文のままである。そして、「講談社」において「海へ飛び込んだ男」という区切りがはいるのは、次にしめすように、まさに「角川文庫」におけるこの一行空きの箇所なのである。
以上、《区切り》という点にかかわって3つのテキストのあいだの違いを述べたが、3つのテキストのあいだにはさらにまた別の異同がある。それについては稿をあらためて「その3」でとりあげる。
(「横溝正史『獄門島』(その3)」につづく)
「その1」の注4ではテキストによって章立ての階層に違いがあることを指摘した。
ここで僕の手もとにある『獄門島』の3つのテキストの章立てを表にしてみよう。
ここにいう3つのテキストとは次のものである。
横溝正史『獄門島』(講談社、1977年)
横溝正史『獄門島』(角川文庫、1971年初版、1996年改版)
横溝正史『横溝正史自選集2 獄門島』(出版芸術社、2007年)
(以下、それぞれ「講談社」「角川文庫」「出版芸術社」と呼ぶことにする)
講談社(1977年) | 角川文庫(1996年改版) | 出版芸術社(2007年) |
第一章 金田一耕助島へいく | プロローグ 金田一耕助島へいく | 講談社と同じ |
第二章 ゴーゴンの三姉妹 | 第一章 ゴーゴンの三姉妹 | 講談社と同じ |
第三章 太閤様の御臨終 | 太閤様の御臨終 | 講談社と同じ |
第四章 近づく跫音 | 近づく足音 | 第四章 近づく足音 |
第五章 﨟たき人 | 﨟たき人 | 講談社と同じ |
第六章 錦蛇のように | 第二章 にしき蛇のように | 講談社と同じ |
第七章 てにをはの問題 | てにをはの問題 | 講談社と同じ |
第八章 今晩のプログラム | 今晩のプログラム | 講談社と同じ |
第九章 発句屏風 | 第三章 発句屏風 | 講談社と同じ |
第十章 待てば来る来る | 待てば来る来る | 講談社と同じ |
第十一章 冑の下のきりぎりす | 冑の下のきりぎりす | 講談社と同じ |
第十二章 吊り鐘の力学 | 第四章 吊り鐘の力学 | 講談社と同じ |
第十三章 海へ飛び込んだ男 | 海へ飛び込んだ男 | 講談社と同じ |
第十四章 忘れられた復員便り | 忘れられた復員便り | 講談社と同じ |
第十五章 山狩りの夜 | 山狩りの夜 | 講談社と同じ |
第十六章 お小夜聖天 | 第五章 お小夜聖天 | 講談社と同じ |
第十七章 海賊の砦 | 海賊の砦 | 講談社と同じ |
第十八章 駒が勇めば花が散る | 駒が勇めば花が散る | 講談社と同じ |
第十九章 夜はすべての猫が灰色に見える | 第六章 夜はすべての猫が灰色に見える | 講談社と同じ |
第二十章 吊り鐘歩く | 吊り鐘歩く | 講談社と同じ |
第二十一章 忠臣蔵十二段返し | 忠臣蔵十二段返し | 講談社と同じ |
第二十二章 見落としていた断片 | 第七章 見落としていた断片 | 講談社と同じ |
第二十三章 伝法の儀式の後に | 伝法の儀式の後に | 講談社と同じ |
第二十四章 「気ちがい」の錯覚 | 「気ちがい」の錯覚 | 講談社と同じ |
第二十五章 封建的な、あまりにも封建的な | 封建的な、あまりに封建的な | 講談社と同じ |
大団円 | エピローグ 金田一耕助島を去る | 講談社と同じ |
この表からわかることを箇条書きにしよう。
1)講談社と出版芸術社では「第四章 近づく足音」で「跫」と「足」の字体の違いがあるだけで、あとはまったく同じである。(以下、「講談社と出版芸術社」を出版年の古い講談社に代表させて、「講談社」ということにする。2つを区別する必要があるときには、その旨明示する)
2)講談社における「第六章 錦蛇のように」の「錦」が角川文庫では「にしき」と平仮名にひらかれている。
3)講談社における「第一章」が角川文庫では「プロローグ」になっている。
4)角川文庫は講談社の「章」のうちのいくつかを「章」に残して番号を振り直し、そこから抜け落ちたものを章の下位の小見出しにしている。
5)講談社では第二十五章のタイトルが「封建的な、あまりにも封建的な」であったが、角川文庫ではそのタイトルから助詞の「も」が抜け落ちている。
6)講談社における「大団円」は、「金田一耕助島を去る」へとタイトルが完全にとりかえられている。同時に、角川文庫にだけ存在する「プロローグ」に対応させて、「エピローグ」という名づけがあたえられている。
以上、3つのテキストにおける章立ての異同をしめしたが、うえの表をみるかぎりでは、各区切りに名前の違いはあっても、区切りの数は3つのテキストのあいだで共通である。
しかし、区切りの挿入箇所を精査すると、「角川文庫」だけ他の2つと区切りの位置がちがう箇所がひとつ見つかる。
それは「海へ飛び込んだ男」の部分である。
まず、「角川文庫」における該当箇所をここに広めに引用してみよう。
耕助はそっと清水さんの肩に手をかけると、
「清水さん」
と、静かにいった。
清水さんはぼんやりと眼をあげた。
「清水さん、ぼくの眼を見てください」
清水さんは耕助の眼を見た。
「それから、あの吊り鐘を見てください」
(略)
「あの吊り鐘にちかっていいます。ぼくは、花子さん殺しにも、ゆうべの雪枝さん殺しにも、なんの関係もありません。ぼくの眼を見てください。うそをいってるように見えますか」
海へ飛び込んだ男
清水さんはしばらく無言のまま、眼じろぎもしないで耕助の眼を見つめていたが、やがてふうっとため息を吐くと、
「金田一さん、わしはあんたを信ずることにしよう。あんたの眼は、うそをついてるようではない。……しかし、……しかし金田一さん、あんたはいったいだれじゃ、どういう人なのじゃ。なんの用があってこの島へ、……こんないまいましい島へ来なすったのじゃ。わしにはそれがわからん。こんないやな、恐ろしいはなれ島へ……あ!」
(略)
この船影をみとめたとたん、清水さんの顔からは、いっぺんに憂色が吹っとんでしまった。清水さんはひげだらけの顔に、真っ白な歯をむき出して笑うと、ギラギラと無気味にかがやく眼で耕助のほうをふりかえった。
(略)
清水さんはひげだらけの顔じゅうを口にして、世にもはればれと笑ったことである。
警察のランチは沖に停泊する。船着き場からは迎えの舟が漕ぎ出していく。島の連中がバラバラと、物珍しげに船着き場へ集まっていく。
清水さんと耕助は、それを見ると大急ぎで坂を下っていったが、船着き場に立って、艀を待っているあいだに清水さんはしだいに落ち着きを失ってきた。耕助があまり落ち着きはらっているからである。(pp.182-184)
この引用中の「世にもはればれと笑ったことである。」と「警察のランチは沖に停泊する。」のあいだに一行空きがあるのは、「角川文庫」の原文のままである。そして、「講談社」において「海へ飛び込んだ男」という区切りがはいるのは、次にしめすように、まさに「角川文庫」におけるこの一行空きの箇所なのである。
耕助はそっと清水さんの肩に手をかけると、
「清水さん」
と、静かにいった。
清水さんはぼんやりと眼をあげた。
「清水さん、ぼくの眼を見て下さい」
清水さんは耕助の眼を見た。
「それから、あの吊り鐘を見て下さい」
(略)
「あの吊り鐘にちかっていいます。ぼくは、花子さん殺しにも、ゆうべの雪枝さん殺しにも、なんの関係もありません。ぼくの眼を見て下さい。嘘をいってるように見えますか」
清水さんはしばらく無言のまま、眼じろぎもしないで耕助の眼を見つめていたが、やがてふうっと溜め息を吐くと、
「金田一さん、わしはあんたを信ずることにしよう。あんたの眼は、嘘をついてるようではない。……しかし、……しかし金田一さん、あんたはいったい誰じゃ、どういう人なのじゃ。なんの用があってこの島へ、……こんないまいましい島へ来なすったのじゃ。わしにはそれがわからん。こんないやな、恐ろしいはなれ島へ……あ!」
(略)
この船影をみとめたとたん、清水さんの顔からは、いっぺんに憂色が吹っとんでしまった。清水さんは髯だらけの顔に、真っ白な歯をむき出して笑うと、ギラギラと無気味にかがやく眼で耕助のほうを振り返った。
(略)
清水さんは髯だらけの顔中を口にして、世にもはればれと笑ったことである。
第十三章 海へ飛び込んだ男
警察のランチは沖に碇泊する。船着き場からは迎えの舟が漕ぎ出していく。島の連中がバラバラと、物珍しげに船着き場へ集まっていく。
清水さんと耕助は、それを見ると大急ぎで坂を下っていったが、船着き場に立って、艀を待っているあいだに清水さんはしだいに落ち着きを失って来た。耕助があまり落ち着きはらっているからである。(講談社pp.93-94、出版芸術社pp.148-150)
以上、《区切り》という点にかかわって3つのテキストのあいだの違いを述べたが、3つのテキストのあいだにはさらにまた別の異同がある。それについては稿をあらためて「その3」でとりあげる。
(「横溝正史『獄門島』(その3)」につづく)