新編 膝枕

智に働きたいと思いながら、なんかやってます。

■映画「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」をみた。

映画「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」のDVDをみた。


 出演:成海璃子、ほか

 公開2010年、120分

映画「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」公式サイト

http://wwws.warnerbros.co.jp/shodo-girls/

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作中のパフォーマンスで採用された主要な字は「再生」。

本作の舞台は「紙」の生産地だが、「筆」の生産地についても、類似のことが問題になるであろう。

(「筆」についてはその生産技術を別の製品の生産に移行させることに成功したとされるような事例のひとつをテレビで見たことがあるが、実際のところどうなんだろう?)

おそらく、これらの製品の生産地の振興を話題にするときには、部活としての書道は脇におくとしても、学校教育における《書道》の位置づけにふれないわけにいかなくなる。が、学校教育にふれると問題が大きくなりすぎる。

(そもそも筆書きはいまの世の中で必要とされているのか、子どもたちの学習時間を筆書きの練習にさく必要があるのか、といえば、僕は筆書きなど今の世の中では無用だと思うし、「心のありさまが字にあらわれる」というのはくだらない精神論であると僕は思う。字のきれいさ、ととのい方と、文章の中身の充実ぐあいとは別問題だ。いかに中身のある文章が書けるようになるか、ということこそが重要である。「ひとさまにみてもらう」ためには字を《丁寧に》かく必要はあるし、誰にでもそれと認知できる最低限の共通な《字体》を子どもたちに習得させる必要はあるとしても、そのための訓練として筆書きを経由する必要はない。(なかには、硬筆での筆記のために毛筆の練習が必要だと主張する人もいるらしいが))

だから、本作に登場した生産物に品目を限定して、その生産地の行く末を考えることは、ここではさけたい。

ひとついえることは、どんな地域にあっても、自分たちの願うことのもろもろがこれからもうまくいくといいよね、ということ。いかにこれが難しい課題で、ときに実現不可能なことであるとしても、そうあることが理想であるとは思う。

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さてさて。

書道パフォーマンスの本番。

アンジェラ・アキ「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」をBGMに、まず海と虹と煙突がえがかれる。

それをうけての司会者のことば。

「これは海と煙突でしょうか」("01:45:20"あたり)

ここには涙がでた。


それと"01:13:40"あたり。

「里子」が「小春」にヘッドホンをとらせ、「手紙」をながす。ここにも涙が出た。

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上記公式サイトによれば、俳優たちは、吹き替えなしで、すべて自分たちで字を書いたらしい。

劇中の書道パフォーマンスは迫力があって、みていて楽しかった。僕がこれまで知らなかった書道パフォーマンスというものを知ることができて、よかったとおもう。

ただ、あの町で書道パフォーマンスを必要としたような時代の変化はいろんな形態で今後も進行するであろうから、これが一過性の感動物語的あつかいに終わらないことをねがう。