■「コード・ブルー ~ドクターヘリ緊急救命~」をみた。(下)
TVドラマ「コード・ブルー ~ドクターヘリ緊急救命~」のDVD(第3巻~第6巻=第5回~最終第11回)をみた。
放送期間:2008年7~9月、フジテレビ
この記事は(下)である。
(上)の続きであるが、やはり、どうにも感想がいいづらい。
作品にいくつかの不満はあるが、不満の中身をこまごまと具体的にしるそうとすると、素材そのものにふれないわけにいかなくなる。
とりあつかわれている素材のひとつひとつはとてもデリケートなものであると思う。だから、僕はそれらに軽々しく言及したくはない。
まず、このドラマのよかったところをしるすが、僕が感動した場面を描写しておくにとどまる。
「黒田」の息子である「健一」の脳腫瘍の手術の場面。
アウェイクでの手術に移行し、「黒田」が息子の「健一」の手術室にはいる。腫瘍と言語中枢の境界をさぐるために、「健一」にしゃべりつづけさせる必要が生じたからだ。
そこでの「黒田」と「健一」の会話。
ドラマの設定では「黒田」は「健一」が一歳半のときに離婚をし、それ以来「健一」とは一度も会っていない。いま、「健一」は11歳。「健一」は「黒田」が自分の父親であることを知らない。「黒田」も「健一」がどんな生活をしているのか、「健一」がどんな性格なのか、なにが好きなのか、なにも知らない。
そんな二人の手術室での会話だ。
はじめはぎこちなく、とぎれとぎれに「黒田」が「健一」に話しかけていく。
が、しだいに「黒田」の問いかけのペースはあがっていく。最後はたたみかけるように。
そこで「健一」からの応答がとどこおる。腫瘍と言語中枢との境界が判明したのだ。健一は麻酔の作用でふたたび眠りにはいる。二人の会話は中断。
そこでの、脳外科医である「西条」のセリフ。
「残りはオペが終わったら、ゆっくり話せ。家族だけで。俺が必ず話をさせてやる」
ここでの「話をする」ということの意味は文字通りの意味なのだが、この言葉がこのシーンでもつ意義付けはふたつある。
ひとつは《家族で時間を過ごす》、もうひとつは《手術が成功する(=「健一」が言語能力を維持する)》。
このあたりの物語の設定とセリフのやりとりが、すさまじくすばらしい。
そして、「黒田」を演じた「柳葉敏郎」のセリフの迫力。涙が出た。
そして、術後。
意識がもどった「健一」に「黒田」がはなしかける。それは医師として、手術が成功したか否か確かめるための問いかけだ。
いくつかの質問のあと。
黒田 「この人は…誰だ?」
健一 「お母さん」
黒田 「私は?」
健一 「お医者さん?」
黒田 「問題なく話せてるようだし、見当識障害もない。大丈夫だ。」
ここでの「黒田」の感情を言葉化するのは野暮というものだ。
そして、「健一」のベッドのあるICU内で別の患者のオペがなされた場面。
「白石」と「藤川」に指示を出す「黒田」を「健一」がみつめる。
オペのあと、「健一」が「黒田」にはなしかける。
健一 「やるじゃん。すごいね。すごいね、おじさん」
黒田 「ああ」
どばーと涙が出た。
(以上は第10回)
最終回の最後のほう。
退院する「健一」を見送る「黒田」に「健一」が話しかける。
健一 「お父さん」
この展開。(ありがち)と一方で冷静に感じつつも、もう一方では(超絶技巧だ)。。冷静ではいられない。
上記の点では猛烈に感動しつつも、気になった点(=不満な点)もある。それをいくつか。
(1)
フェローを演じた俳優たち。やはり、医師を演じるには実年齢が若すぎる。
(2)
「黒田」が息子の脳腫瘍のMRI画像を前にしてその手術の成功確率云々に関して脳外科医の「西条」を難詰するが、いかに息子の病気のことであるとはいえ、医師から医師へのふるまいとしてありえないと思う。
(3)
登場人物たちのセリフが冗長。
医師、看護師などといった《医療の専門家》内部での会話を、医療についての特別な訓練を受けていない《一般の視聴者》に理解させるためには、登場人物たちのセリフに《用語説明》をふくみこませなければならないであろうことは十分に理解できる。
現実の医療の現場では、専門用語を一般の人にも理解できるようにいいかえる努力がなされていることは知っているが、医療従事者が「患者と話をするとき」と、「医療従事者同士で話をするとき」とでは、そこで使われる用語が異なるのもごく自然なことだと思う。
専門家同士という状況下にあっては専門家だけに通じる専門用語を使って会話がなされるのも当然である。
で、このドラマには医療の専門家たちの会話が数多く登場するわけだが。。。専門家同士の会話は一般の視聴者には理解しがたい。でも、それを一般の視聴者に理解してもらう必要がある。そうでないと、登場人物たちの行動の意味が把握できない。
しかし、だからといって、登場人物がセリフのなかで《用語説明》をしすぎると、専門家っぽくなくなる。
説明のしすぎが目についた。
(この手のテーマの脚本作りでは、これはすごくむずかしい課題だろう。)
話題転換。
「寺島進」。かっこいい。
それと、各回の冒頭で、回ごとにべつの俳優が順番に「前回までのコード・ブルー」というナレーションをいれる。かっこいい。
もうひとつ話題転換。
これはドラマがえがく人間模様とは関係ないことであるが、《言語運用能力》について。
たとえば「黒田」が電話でフェローたちに指示を出すところに、かれらの《言語運用能力》の高さを感じた。そして、情報の伝達において、いかに《言語運用能力》が重要であるかということを感じた。
手の動き、手に感じるはずの感触を言葉にする。その言葉をきいて、そのとおりに手を動かす。
映像を言語化し、言語化された情報から映像を再構成してみせる。その能力の高さだ。
さらに、言語をはなれたところでいっても、平面から立体を頭のなかにつくりだす操作も容易にこなす。
これだけの高度な能力を彼らがどのようにして身につけるにいたったのか、ここをおおいに考察する必要がある。
こうした能力こそが幼少期から義務教育をへて大学などの高等教育までのなかで身につけることが要求されるものではないか、と僕自身がふだん考えていることもあって、この点は実に興味深かった。
最後に。
これは話題転換というのではなく、今の僕にはどうしても理解できないことをひとつメモしておく。
第9回の終わりごろ。「黒田」が「おまえらと出会わなければよかったなぁ」という。
「黒田」がいかにフェローたちにきびしくしてきた人間であるとしても、ここでの彼の発言はあまりにも異様である。かれの性格造形における一貫性が感じられない。