新編 膝枕

智に働きたいと思いながら、なんかやってます。

■「ハルフウェイ」をみた。

映画「ハルフウェイ」のDVDをみた。


(はじめに)

僕はいま本作の感想記事を掲示する方法にこまっている。

というのも、この感想記事のほとんどを書き上げたあとで、記述の正確さを期するために本作をもう一度視聴したのだが、ついでに、この作品のDVDをみているだけではわからない、撮影期間、公開日などの外部情報を知りたくて、「映画 ハルフウェイ」のキーワードで検索してみた。

公式サイトはすでに閉鎖されているようであった。ウィキペディアと各種映画紹介サイトのいくつかをみた。すると、本作の制作過程について、もともと台本はあったが、ほとんど(あるいは、すべて)が役者のアドリブで撮影された、としるされていた。

なるほど。僕が(うまい)と感じたセリフ、およびセリフのやりとりは役者たちの呼吸が生み出したものだったのね。

役者たちのそういう呼吸をインスパイアした元々の台本、および、その撮影の環境をつくりだした制作スタッフたちの力量を無視することはできない、ということをかりに一応認めるとしよう。

しかし、僕がそれに感心した役者のせりふ回しの巧みさをうみだした脚本、および脚本家にたいして、および、役者たちの掛け合いを制御した演出にたいして僕が当初抱いていた敬意は、《アドリブ》情報を知ったあとでは、一気に薄れた。

まぁ、制作過程にかんする知識なしに本作をながめたときには、小さからぬ傷があるとしても、本作は良作だとおもう。良作だと思うから、一応書き上げてあった感想記事を公開するが、どうにも納得できないものを感じているのが正直なところである。

前書きはこれぐらいにしておく。

以下の文章のほとんどは、僕が本作の制作過程を知る前にかいたものである。

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映画「ハルフウェイ」

 出演:北乃きい

 監督・脚本:北川悦吏子

 2009年、85分

 紺野ヒロ(北乃きい

 篠崎シュウ(岡田将生

 メメ・・ヒロのともだち

 森タスク・・シュウのともだち

 松浦先生・・保健の先生

 平林先生・・書道の先生

 高梨先生・・ボクシングをしてる先生

* * *

これは「北乃きい」がめあてで借りてきた作品である。

僕がツタヤに行くと、この作品はいつもパッケージの表側がこちらを向いた状態でおかれている。

だから、おおきくうつった「北乃きい」がいつも目にはいる。

僕はだいぶ前からこの作品を視聴したかったのだが、僕がこの作品のパッケージを目にしたときに「準新作」あつかいだったこの作品は、いつまでたっても「旧作」にならない。いまも「準新作」あつかいである。

今回は、5枚まとめ借りをすると安くなるキャンペーンで新作と準新作も対象になるのを利用して、この作品を借りてきた。

で、初見時の感想は・・・ 北乃きい、かわいいなぁ。うまいなぁ。

以前このブログに書いたことがあるが、僕が「北乃きい」を知ったのは、去年の夏に放送されていたTVドラマ「救命病棟24時第4シリーズ」をつうじてのことである。

北乃きい」が気になってインターネットで検索したら、彼女のブログがあった。それから彼女のブログをしばしばチェックするようになった僕は、ふとブログを始めようと思い立ったときにたまたま北乃きいのブログを見ていた。彼女のブログがアメブロで、僕はその画面にあった「アメブロでブログを開設」云々の項目をクリックした結果、僕の初めてのブログはアメブロに開設された。

・・・というわけで、僕は彼女のことが気になっていた。気になっているのなら、とっとと彼女の出演作をドンドコ視聴すればよいともいえるが、僕は(なんとなく)の感覚で本作の視聴を後回しにしていた。(ラジオで彼女のトークはたまに耳にしていたけれども。)

本作をみて、あらためて思った。北乃きい、かわいいなぁ。うまいなぁ。

ただ、作品そのものにはあまり期待していなかった。期待していなかったということに、なにか立派な根拠があったわけではない。

で、作品そのものについての感想は・・・ けっこういい。

* * *

北乃きいが演じるのは「紺野ヒロ」という女の子。

あこがれの篠崎くんが目の前を通過し、手がふれただけで、めまいがして保健室に運ばれる。

いじらしい女の子だ。かわいいなぁ。

まぁ、あえて僕の好みでいえば、気が強くて、ときに支離滅裂なことを篠崎くんに要求し、篠崎くんをふりまわす「紺野ヒロ」には僕はついていけないというのが正直なところである。

それはそれですごくかわいらしいんだけれども。

* * *

作品そのものにあまり期待していなかったというのは前述したとおりである。

が、視聴し終えて、けっこういい作品だと思った。

「紺野ヒロ」のセリフが実によくできている。彼女の性格がにじみでてくるようなセリフがあちらこちらにみられる。

その具体例として、短いセリフの引用ですませることができる箇所をひとつだけ紹介しておく。

「ヒロ」が「森タスク」の写真をとるところ。

 森: 「振り返り際が こう・・・」

 ヒロ: 「ううん 振り返らないバージョンが」

 森: 「そかそか」

 ヒロ: 「後ろ向いたバージョンがいい」

 森: 「え 後頭部しか写らんよ」

 ヒロ: 「いや 後ろ向いたバージョンがいい」

 森: 「何それ」

 ヒロ: 「いくよ」

ここで、ヒロは森くんの言葉をさえぎり、森くんの言葉にかぶせて自分の要求をおしとおす。まったく同じセリフ(「後ろ向いたバージョンがいい」)を二回たたみかけて繰り返すところが、秀逸、と思う。ヒロの性格がよく出ている。

二人の人物が対話するシーンが本作の各所にあるのだが、そういう箇所での言葉のやりとりがすごく巧みだと思う。(そういった箇所を具体的にこまかく紹介するとなると、台本起こしと同義になりかねないので、そういう試みは省略。)

とくに僕が好きなのは、ヒロの悩みを書道の先生である平林先生が聞き出すシーン。とにかくうまい。

(つくられたセリフそのものがうまいのか、一方のセリフへのもう一方のセリフのかぶせ方がうまいのか、役者のしゃべり方がうまいのか、その点での分析はできかねる。)

あと、これは脚本のセリフづくりのうまさというよりはむしろ、それをしゃべる北乃きいのうまさといったほうがよいのかもしれないが、シュウがヒロに「受験が終わるまで会うのやめよ」というシーンでのこと。

ヒロはシュウの言葉に何回か連続して「おぅ」と応答する。そこでのヒロ(=北乃きい)の間の取り方、「おぅ」の声色の変化のしかたが実にうまい。北乃きい、すげぇ。

あと、シュウがヒロに数学の説明をしているところ。ヒロは勉強が好きではないし、得意でもない。そんなヒロがわからないなりにもシュウの説明に耳を傾ける。こういうときの北乃きいの表情が実にうまいなぁ。

* * *

よくないところも多い。

セリフのやりとりが長く続くシーンで、連続しているはずの絵(ひとりの人間の顔をアップにした絵。しかもその人間はひとつづきのセリフをしゃべている)に「カクッ」となる箇所(つまり、つぎはぎ)が散見されるのが残念。ああいうところは、とりなおしをしてほしいとおもった。

あと、風景(とくに雲が流れていく空の絵、しかも早まわし)がむやみと挿入されるのだが、あれはやめてほしい。絵そのものにたいしては(きれいだ)とおもうのだが、そこにその風景が挿入されることの意味が、DVDを何度再生し直しても僕には理解できない。

どうも、この作品は、こうあってほしい、ということだけを純粋にとりだすことに制作者の意図があったようで、多分にファンタジックである。

ヒロとシュウが校庭を自転車で走る(二人は制服を着ているから、登校日の出来事のはず。それなのに、二人以外にはだれも画面にうつりこまない)とか、理科室でヒロとメメがシャボン玉をつくって遊ぶとか。すくなくとも僕の理解の範囲にある学校においてはあまり許容されないような行動のシーンがチラホラとある。

ただ、その絵がほしかったからそこに挿入した、というようなシーンである。つまり、ファンタジック。

作品のはじめの方。

篠崎が体育館でけがをしたとき、6人の女の子たちが保健室に松浦先生を呼びに来て、松浦先生が体育館に向かったはず。それなのに、当の篠崎は、松浦先生と女の子たちがいったのとは反対方向から廊下を歩いて保健室にやってくる。

建物の空間的な位置関係と登場人物たちの行動とのあいだに整合性が確保されていない。それだけでなく、篠崎と行き違いになったはずの松浦先生がすぐに保健室に戻ってこないのも不思議でしかたがない。(まさか、体育館で松浦先生の手当を受けた篠崎が、松浦先生とは別行動で勝手に保健室に向かってきたわけではあるまい。第一、松浦先生は手ぶらで体育館に向かったぞ。保健用品を持って行かなかったぞ。)

こういうところはもっと正確に人間の行動を描写してほしい。作品の冒頭からこういうおかしなところがでてきて、初見時は興ざめだったのだが、それ以外の箇所がけっこういい。何回か本作を見直して、(ま、みのがしてもよいかな)と思った。

* * *

《こうあってほしい》ということだけをファンタジックにとりだしたものであるとこの作品を解釈するとして、僕がこの作品で好きなのは、学校の先生たち。

高梨先生は、受験する大学にまようシュウにたいして、けっして声をあらげることなく、ゆったりとした態度で相談にのってあげる。

平林先生は、悩みを抱えているヒロを呼び止め、これまた、のんびりと、ゆったりとした態度で相談にのってあげる。

ほとんど何も知らない高校三年生のシュウとヒロにたいして、それぞれの先生が《若い人》に対する《大人》からのアドバイスとしてきわめて重要な指針を確実にあたえている。

人生は長いが、今も大事。たとえ、「目先のことにとらわれている」と《大人》からはみえることでも、《若い人》にとっては、それなりに重要なことであるのだ。《大人》と《若い人》とで経験値が異なる状況にあって、《大人》からの短絡的な結論づけは押しつけ的になりかねない。ここでの《大人》たちはそこをゆったりとした態度でもって、より妥当な考え方を教授していく。

こういう先生とであえたシュウとヒロは幸せだ、とおもう。

* * *

以上のような感じで、僕は本作に粗っぽさを感じつつも、その一方で、とてもいい印象をもったのである。

が、やはり不思議なことは残る。

作品の舞台は小樽らしい。

で、作品の季節は秋から受験シーズンへ。シュウが東京に向かうシーン(すくなくとも空港のある方向に電車で向かったことはたしか。早稲田受験のための上京と解釈できるようなシーン)までが本作にはふくまれる。

マフラーをしてコートも着てるから、それなりには寒いんだろうけれど、でも、あの程度の格好しかしていないところをみると、そんなに寒くないよね。

いいのかな?

不思議でしかたがなかった。

まぁ、いいや。

・・・まぁ、いいや、と思いつつ、気になったので、確認のためにもう一度視聴した。くっきりとした映像ではキャッチできなかったが、作中の黒板などの文字情報をみるかぎりでは、1月2月のはずのシーンが本作にはふくまれていると解釈できる。

でも、雪がうつらない。

小樽って雪がふるよね。冬の小樽の映像をインターネットで調べちゃった。はっきりと雪がうつっていたよ。


で、僕は、最後の電車のシーンも気になったので、手元にある時刻表をしらべてみた。都合がよいことにその時刻表は「2008年9月号」であった。本作を撮影していた時期の実際のダイヤと大差ないと思う。

まず、作品だけからわかる情報。

駅のアナウンス(シュウが車両に乗り込んだあとのアナウンス)では、シュウが乗ったのは「快速エアポート134号」である。しかし、その車両の外側には「普通」という表示がされていた。

この時点で??????。

で、時刻表をみると。。。作中、駅のホームに流れてきたアナウンス(このアナウンスは、シュウが車両に乗り込むまえのアナウンス)に見事に適合するかたちで、11時27分に南小樽駅に停車する普通列車は確かに存在する。が、「エアポート134号」が南小樽駅に停車するのは、13時07分だった。。。

まさか。

11時27分の普通列車が来るのにあわせて、あのシーンの前半を撮影し、その日の午後に、13時07分のエアポート134号が来るのにあわせて、あのシーンの後半、つまり、車中からの絵を撮影したってこと?


雪と電車の話題からはなれて、余計な突っ込みをもうひとつ。。。

試験を目前にひかえた受験生が手にしている参考書が、あんなにピカピカの新品でいいわけがない。ちゃんと勉強しろ。

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【蛇足】

僕は映像作品を見ての感想記事をかくときは、ふつう、他の人の書いたレビューはみない。しかし、この記事の(はじめに)で書いたような事情で、この記事を公開するにあたって、他の人のレビューのいくつかに目を通した。

そのなかで僕が興味深かったのは、物語の舞台は「小樽」と特定しないままの方がよかった、という意見である。

なお、本作の舞台が小樽であることが明らかになるのは、作品の最後の最後である。

作品の最後で、ヒロとシュウが一緒に自転車で駅に向かう。その途中の街中に「小樽」の表示がみえる。そして、シュウが電車に乗るのは「南小樽駅」。これで、舞台が小樽であることが明示される。

あぁ、そうか。雪がうつらないがゆえにおかしいと感じたのは、場所が「小樽」と特定されたからなのか。

場所が「小樽」特定されなければ、物語の展開する時期とその場所の風景との食い違いにおかしさを感じることさえないわけだ。

いや。実は、そんなこともない。

物語の途中で、松浦先生の乗っている車のナンバーが札幌ナンバーであったから、舞台が北海道であることはその時点でわかる。

さらに、作品のけっこう最初のところで、ヒロが「地元の札幌福祉大学」ということをいっているし、タスクも「北大」っていってるし。だから、作品のもっと最初のところで、あの場所が北海道であることははっきりしている。

「小樽」であろうが何だろうが、北海道のあの季節であの風景は絶対にありえない。

いつまでたっても黄色い葉っぱが木の枝にくっついたままだから、季節の変化がなくて、僕は、物語の時間がどれだけすすんだのか、全然わからなかった。

本作は実にいい加減な映画なわけだ。

同情的にみれば、高校三年生の生活をえがくのが目的なのだから、たまたま撮影が行われた地域が《そこ》であったというだけのことであって、その地域の特性を映像に取り込む必要はないわけで。だから、その地域の気候を考慮して、作品の整合性を云々すること自体がナンセンスなわけで。

季節感がおかしいことはおかしいのだが、この点は脇においてもよい、他の部分がよいから本作はいい、と思っていたのだが、制作過程についての情報を知ったら、僕はとたんに残念さの感がつのった。

なんかなぁ。一生懸命に記事を書いてきたのに、一気に疲れたぞ。

余計なことを知る前は、いい映画だと思ったんだけどな。

今も、ファンタジックな作品としては、本作はいいと思う。だって、かわいくて、いじらしい二人がえがかれているんだから。

・・・という「蛇足」をつけて、この記事終わり。